精神世界の旅が終わり、真我で出発します

瞬間の認識の怖さ

今日もメッセージをお読み頂きありがとうございます。

新聞記事より抜粋してお伝えします。

「すれ違う親子」

過干渉で育てられた、と思っている。

父母に加え、祖父母も一緒に暮らしていた。

常に大人の目があり、やることなすこと口出しされ、嫌でたまらなかった。

だから、娘をさずかったと分かった時、「この子の意思を尊重して育てる」と心に誓った。

からしてほしかったことをすべて娘にしてきた。

言われたかった言葉もおしまずに言った。

娘と2人、仲良くやってきた。

そんな毎日に満足していた私に中学生の娘が言った。

「お母さんは私のことどうでもいいんでしょう?」

私は私の理想の親を精いっぱいやってきた。

しかし、私の満足は、娘の満足ではなかった。

娘の言葉で、私はハッとした。

19歳の頃、私も親に言ったのだ。

今回娘に言われたセリフと似た言葉を。

親は驚き「そんな訳ない、心外だ」と怒鳴った。

私はずっと言い当てられて怒ったのだと思っていた。

私が娘を思っていたように、私も親から愛されていたのだ。

こんなにも気づかずに、すれ違うものなのか‥‥

私のこれまでの心のしこりはなくなった。

さあ、これから娘とどう向き合っていこう。


「私の想い」

PIAの講師養成講座を受けた。

その時に強く感じたこと、教えて頂いたこと。

相談者に対して、前の印象をもって接しない事。

瞬間瞬間変わっている相手に対し、偏見を持たないことが最も求められること。

そのエネルギーは確実に相手に伝わり、負の思いを相手に与えてしまうことになる。

学長が読まれた「真我心経」を思い出した。

全ては無い。

変化するものの実態は無い。

私たちが、相手の行動を見て、その時の瞬間の映像を持ち続けることの怖さを思い知った。

瞬間、瞬間、私たちは認識をリセットししなければいけない。

認識をはるかに超えて相手の素晴らしさを感じる脳を生み出す。

挑戦し続けたい。