精神世界の旅が終わり、真我で出発します

イブの日に

今日もメッセージをお読み頂きありがとうございます。

24日のクリスマスイブの日に教え子である0君に会いに行きました。

彼は小学校の教師をしていましたが、20代の終わりごろ多発性硬化症を発症し

今、寝たきりの生活を送っています。

彼は5冊目の詩集を書き上げました。

彼の詩を読むと心が洗われます。

彼の承諾を得て紹介させて頂きます。

「遠い一日」

明日になれば逢える

長くて短い夜を過ごす

こんな日々を何日過ごすのだろうか。


『「光」と「闇」』

一面だけでなく、様々な顔を持つ自分

本当の自分はどこ?

スポーツが好き、絵を描くことが好き

でも誰かに見せるわけではなく

目立ちたくもない

でも、挑戦し続けたい  自分自身に

それが自分自身の姿だから

いつまでも、いつまでも

良いところを見ていてほしいから。

 

「野の花」

名もない花々

多くはは知らずに枯れ落ちる

でも、一輪一輪が美しい花を咲かせる。

 

「無情」

世の中は無慈悲。何一つ救われない

一つのことさえ救えない

どうしようもない

無情だな・・・


「時の流れ」


いつも気付かない

でも、確実に足を進めている

時は一秒たりとも待ってはくれない

ある意味、冷たいもの


「とりあえず、さようなら」

いつまでも愛しています

だからさようなら・・・

あなたを心から愛しているから。

 


彼に「無情」の詩の意味を聞いてみました。

自分が常に人の助けを得ないと生きていけないことをそのように思っているようでした。

「確かに助けが必要だけど、そのことでいろいろな素敵な人に会えるよね」

私の言葉に彼は穏やかにうなづきながら微笑みました。

彼の力になりたい・・・・

 

O君は花の写真を撮る趣味を持っています。

この詩集のそれぞれの詩には彼の撮った美しい写真が添えらえています。

彼の作品がギャラリーに飾られていたので、見に行きました。

彼の作品を写真に収めて、他の作品も一緒に鑑賞しました。

私という存在が少しでも彼の癒しになってくれることを祈りながら・・・

 

人間って素晴らしい

今日もメッセージをお読み頂きありがとうございます。

一昨日、介護施設を訪問して、利用されている年配の方とお話をしてきました。

ここには認知症の方々も多くいらっしゃいます。

スタッフの方が、私に1人のご年配の方を紹介して下さいました。

その方は目を不自由にされておられ、はっきりとは見えない中で、私に顔を向けて下さいました。

私が手を取って語りかけると、突然、涙を流され、泣き始められました。

「男の人は優しい」と何度も言葉を繰り返されました。

いろいろとお話を聞く中で、家族との関係で辛い状況を抱えておられました。

ひたすらお話を聞きました。

絵馬を飾り付ける作業が始まりました。

自分の言葉を書いて、千代紙などで飾り付けをされています。

机を回りながら、それぞれの方の作品や字の美しさなど美点発見をしながらお話して回りました。

どの方も目を輝かせて聞いておられる姿を見て感動しました。

今までは、年配の方を見ると、体の老いに目が向いてしまうことが多く

自分のテンションが下がることや、

気の毒だなという思いが湧きあがっていましたが

この時は、「本当に可愛い方ばかりだな」という思いで満たされ、

愛おしい気持ちでいっぱいになりました。

自分の仕事が明確になった一日になりました。

私は、本当に人間が好きです。

真我に出会うことができたおかげです。

すべての方々に感謝いたします。

心を聞き取る

今日もメッセージをお読み頂きありがとうございます。

新聞記事より抜粋してお伝えします。

「懐かしい母の声」

去年の同窓会は、1人で参加していた母だが、今年は私と義妹が同行した。

少し前から認知症を発症してしまったのだ。

母のお友達が「サポートするからぜひ」と誘って下さった。

母は元々話し好きで毎年欠かすことのなかった同窓会なので、

良い刺激になるかもと思い、参加させて頂いた。

久しぶりの大勢の人の中、困り顔で少し離れた私たちをチラチラ見ていた母も、

90歳で参加されていた恩師にパワーをもらったようで、

何とか楽しい時間を過ごすことができ、笑顔で会場を後にした。

翌日、私は久しぶりのお日様に背中をおされ、カーテンを洗濯した。

ついでにガラスを拭こうと思った瞬間、「新聞紙を使って拭いてごらん。綺麗になるから」。

若いころの母の声がした気がした。

子どもの頃、一緒に家のガラス吹きをした時の懐かしい声。

色んなことを教えてくれた母。

今ではほんの少し前のことを何度も真剣な顔で尋ねてくる母。

急に涙がこぼれ落ちた。

涙で一気にぼやけたガラスを力を込めて拭いた。

「お母さんは今を生きている」と自分に言い聞かせながら。

福岡市  女性(51歳)


たとえ認知症になっても、魂と魂の会話はできる。

何度同じことを聞かれても丁寧に答えてあげたい。

カウンセラーを目指している自分はこんなことを考えている。

しかし、実際の介護現場で働いておられる方々は、言葉にならない苦労があるはずだ。

今、介護現場での傾聴ボランティアの申請をしている。

とにかくカウンセラーとしての経験を積みたい。

来年の2月には初孫が生まれる。

初産で、息子夫婦にいろんなストレスがかかることも予想できる。

自分のしていることが家族の力になれると思うと大きな喜びと勇気が湧いてくる。

過去の自分よさようなら

今日もメッセージをお読み頂きありがとうございます。

今日は佐藤康行著「神のメッセージ③」から抜粋してお伝えします。

「宇宙意識の完璧」

あなたは、完全、完璧である。

もともと生まれた時から、完全、完璧なのである。

それは、一般的に言われるところの、非の打ちどころがないということでも、

完璧主義ということでもない。

今のままのあなたで完璧ということである。

これから何かを学んで、練習して、身につけるのではなく、

生まれた時からあなたという存在はありのままで、もうすでに完璧なのだ。

なぜなら、あなたは宇宙のの存在であるからだ。

宇宙が生んだものであるからだ。

この世に宇宙の存在でないものは何一つない。

大自然も、動物も、人間も、現象も、大いなる宇宙の存在そのものなのである。

宇宙は大調和の世界であるから、あなたという存在は調和の中にいるのである。

あれができる、これができる、稼ぎが良い、悪いなどというのは、

人間が作った小さな価値観に過ぎない。

人間は、脳で考えることが全てで偉大ことだと思っているが、それは大きな錯覚である。

人間の脳を創ったのは、命を産んだのは、何か。

その完璧に目を向けるのである。

宇宙意識は、人間の脳で考えた価値観などはるかに超越した、

もっと広く高い意識である。

そして、それがあなたの本当の姿なのである。


「私の想い」

久しぶりに学長の本を読んでみた。

この内容は前にも読んだものだが、今回とても新鮮に映った。

そうか、もう人と比べる必要は全くないんだ。

こんなちっぽけな脳で考えるような、判断するような世界とは全く別次元の世界。

それが真我。神。大宇宙。

私たちの真の存在。

どこの大学を出たとか、どこの一流企業とか、性格がどうだとか・・・

もうこの世界から離れられる。

やっと自由が手に入った。

なんだかそんな気持ちになった。

今まで自分に自信がなく、常に人と比べ、コンプレックスの固まりで苦しんできた。

過去の苦しみよさようなら。

これからは、出会う人との縁を喜び、その方が元気になっていかれる道の探求。

心からやりがいを感じる!

 

 

瞬間の認識の怖さ

今日もメッセージをお読み頂きありがとうございます。

新聞記事より抜粋してお伝えします。

「すれ違う親子」

過干渉で育てられた、と思っている。

父母に加え、祖父母も一緒に暮らしていた。

常に大人の目があり、やることなすこと口出しされ、嫌でたまらなかった。

だから、娘をさずかったと分かった時、「この子の意思を尊重して育てる」と心に誓った。

からしてほしかったことをすべて娘にしてきた。

言われたかった言葉もおしまずに言った。

娘と2人、仲良くやってきた。

そんな毎日に満足していた私に中学生の娘が言った。

「お母さんは私のことどうでもいいんでしょう?」

私は私の理想の親を精いっぱいやってきた。

しかし、私の満足は、娘の満足ではなかった。

娘の言葉で、私はハッとした。

19歳の頃、私も親に言ったのだ。

今回娘に言われたセリフと似た言葉を。

親は驚き「そんな訳ない、心外だ」と怒鳴った。

私はずっと言い当てられて怒ったのだと思っていた。

私が娘を思っていたように、私も親から愛されていたのだ。

こんなにも気づかずに、すれ違うものなのか‥‥

私のこれまでの心のしこりはなくなった。

さあ、これから娘とどう向き合っていこう。


「私の想い」

PIAの講師養成講座を受けた。

その時に強く感じたこと、教えて頂いたこと。

相談者に対して、前の印象をもって接しない事。

瞬間瞬間変わっている相手に対し、偏見を持たないことが最も求められること。

そのエネルギーは確実に相手に伝わり、負の思いを相手に与えてしまうことになる。

学長が読まれた「真我心経」を思い出した。

全ては無い。

変化するものの実態は無い。

私たちが、相手の行動を見て、その時の瞬間の映像を持ち続けることの怖さを思い知った。

瞬間、瞬間、私たちは認識をリセットししなければいけない。

認識をはるかに超えて相手の素晴らしさを感じる脳を生み出す。

挑戦し続けたい。

 

 

KABUTOミュージックセラピー畏るべし②

今日もメッセージをお読み頂きありがとうございます。

今日は、一昨日参加したKABUTOミュージックセラピーについてお伝えします。

前回のブログでRIVEでの体験談をご紹介しましたが

セラピーでも感動のお話がいくつもありました。

ある方は私にもいろいろとご相談があり、お話は伺っていました。

よくこんなことを言われていました。

「開発講座を受けているが

なかなか体感がない。

私は観念が強すぎるのかしら。

何をしても、私は涙も出ないということを悩んでおられました。

セラーピーの間に参加者全員による交流が行われました。

みんなで握手を交わしたり、言葉をかけあったりする時間です。

その方と挨拶する番になったときに、思わずハグしてしまいました。

その方はその間、ずっと涙を流してあります。

私はびっくりして驚きを隠せませんでした。

その方の涙を初めて見たからです。

あとで、「私はこのような愛を求めていることが分かった」と仰っていました。

ご自分をどんどん認められて、新たな発見を積み重ねておられる姿に感動しました。

またある方は、今のお金の悩みを訴えておられました。

資金繰りに恵まれず、苦しい状態を心にとめられて、ワークをすすめられました。

その方はとても大きな発見をされました。

お母様が、ご自身が24歳の時に命を絶たれました。

原因はある方の借金の保証人になられたことで、ノイローゼになれたということです。

その方は言われました。

「私はお金は汚いものだと思っていました。

お金の問題さえなければこんなことにはならなかった。

お金を嫌い、お金に罪悪感を持っていた。

それがもしかするとお金をせき止めていたのかもしれない。

でもそれは違うということに今日気がつきました。

そうじゃない。

お金は素晴らしい。

人を救える。

みんなを楽しませることができる。

お金は愛なんだと気づいた。

自分を責めなくてもいい。

自分は愛そのものだと気づいた。

私はこのお話を聞いて魂が震えました。

セラピーの真我を引き出す底力を見せて頂きました。

これから一人でも多くの方にカブトミュージックの素晴らしさをお伝えし

その方の最高の人生のお手伝いをしていきたい。

 

 

 

KABUTOミュージックセラピー畏るべし

今日もメッセージをお読み頂きありがとうございます。

11月26日に下関、赤間神宮で行われたKABUTOミュージックセラピーに参加しました。

今回で4回目の受講になりますが、この度の体験は半端ないものとなりました。

このセラピーの凄さを、このブログの読者の方に真剣にお伝えしようと思い、書いています。

私の表現一つで、このセラピーの価値の伝わり方が違うので強い責任を感じます。

まず度肝を抜かれたということからお伝えします。

前日に赤間神宮の前の施設でRIVEが行われました。

そこに初参加された方がセラピー当日に、前日のLIVEの体験報告をされました。

その方は、ご主人のお母さんと対立して、顔も合わせたくないほどの関係で

義理のお母様のことをモンスター、ライオン呼ばわりされておられました。

その状態を、コミュニケーションというより格闘技だったと表現されていました。

そんな状態でKABUTOミュージッRIVEを受けられて帰られてみると

自然とそのお母様のことが抱きしめたくなられ、

ハグして涙を流され、お母様に今までのことを謝られたそうです。

私は、本当はお母さんのこと大好きだったかもと気づかれ

今までモンスターにして、ライオンにしていたのは私だったと気づかれたそうです。

私の大好きだった夫を産み育ててくれた偉大な人。

今までお母さんの言葉を「それは違うと心の中で拒否してしまっていた」

これはこれでいいんじゃない、ああそうなんだ、受け取りました。

ありのままのお母さんを素直に受け取れる。

その思いがお母さんにも伝わり、お母様が次の日にきんぴらの料理をごちそうして下さったそうです。

お母様に食べてと言われたのに、夫がそれをおからに入れてしまったので食べられなかったと笑顔で報告なさっていました。

ミュージックセラピーでの出来事であれば、今までにもすごい体験を何回も聞いてきました。

初受講で、しかもLIVEだけの参加でこんな劇的な体験を目の当たりにして

言葉を失いました。

KABUTOミュージック、畏るべし!

これからこのRIVE,セラピーはとんでもないことになると確信しました。

明日は第二弾をご報告いたします。