病も完全な姿
今日もメッセージをお読み頂きありがとうございます。
新聞記事より抜粋します。
「がんとともに」
向き合い挑む「強いんだ」
鍛え上げた体は、「癌患者=弱い人」という自らの先入観に対し、挑戦を続けた結果だ。
3年半前、左足に悪性の軟部腫瘍が見つかった。
病院では実感がなかったが、帰宅後、死に近づく恐怖がわいてきた。
手術後の入院は1ヵ月。
足が思うように動かず、細くなった。
ウェブ制作会社での仕事が物足りなくて、転職を考えた矢先の出来事だった。
怒りやら焦りがこみ上げた。
さらに「やっぱりがん患者は弱いんだな」と感じた。
病床でふと、ある女性患者がブログに書いた一節に心が動いた。
「人生、起きたことに意味がある」。
がんを言い訳にしないと決め、トレーニングを始めてみた。
自分のうちにある、熱いものを肉体の改造にぶつけた。
退院後、がん関連や臨床試験などの情報を提供する企業に移り、手ごたえを感じている。
自分と同様、若くしてがんになった仲間もできた。
病や死と向き合いながら、生きようとしている人が大勢いることを知った。
「がん患者は強いんだ」。
今はそう思う。
佐藤康行著「うつ病は90日で90%治る」より
5、究極の大船に乗る
●病も完全な姿
真我「心の再生」医療で患者さんが本来の姿に再生していくのは、究極の大船に乗ることに他なりません。
元々の姿に自分で戻していくとうことだからです。
それは、患者さんが今から医学を勉強して、その知識を自分に適用していくということでは、
もちろんありません。
元々の本来の自分に気づき、それが自分を治癒に向かわせるということです。
真我「心の再生」医療では、どんな患者さんに対しても、
重い病はないという観点で接していきます。
病気は、その人へのメッセージであり、その人の中に全部答えがあり、
目の前にいる人は、完全で完璧であるという、そのように扱った時には全てうまくいくのです。
完全で完璧であるということは、人間の考える完全完璧ではありません。
人間の考える完全完璧は、例えば健康について見た場合には、
どこにも疾患がなく、気持ちも明るく、前向きで、社会にも適応している状態と捉えるでしょう。
生活で見た場合は、収入もあり、家庭も持ち、家庭円満な人生かもしれません。
しかし、真我「心の再生」医療でいう完全完璧というのは、人間が創られたその意思からすると、
病気も、病気が表れたそのことも、あるいはまた、健康であるということも
命を生かすという側面では、同等で同質な、一つの状況の表れなのです。
宇宙のシステム、その人の命という観点から見ると、
病はその人にとって必要なものであったことに気づくのです。
病も健康も含めて、過不足なく、完全な動きなのです。