かぶせについて
今日もメッセージをお読み頂きありがとうございます。
今日はかぶせることについての思いを書かせて頂きます。
私は、何となく自分は「かぶせ」をしているのではないかと不安になっていました。
Facebookで渡辺さんのブログにこのような内容がありました。
『ある方が、佐藤康行に質問をしました。
「知り合いの人が争ったり、それが原因なのか癌になったり子どもが不登校になったりしています。
私は争うのではなく、お互いを満月前提にして「生かしあう」ことが大切だと伝えて、
何とかしたいという気持ちがあるのですが‥‥
その時、佐藤康行は間髪入れず
「そうね。それは全部かぶせなんですよ」と言った。
質問した人は、「う~ん」とうなってしまいました。
さて、このブログをお読みのみなさんは、いかがお感じになったでしょうか?
この質問者のように、何とか…という気持ちになったことはないですか?
佐藤康行は続けてこのように言いました。
「こうしてやろう」ってのは、私はないんです。
私の場合よ。
「その人をどうかしてやろう」って、それがかぶせなんです。
私はどうかしてやろうなんて思わない。
別に冷たいってわけじゃなくて。
ちゃんとやるべきことは最善をやる。
あとは本人の問題なのです。』
これを読んで、私がしていることはかぶせだと確信できました。
このことをある方に相談しました。
この方はご家族のことで悩まれて、ずっと学長に面談を受けられて
かぶせについて体感されている方です。
お話から学んだことを書いてみたいと思います。
まず、「教えてもらう」という気持ちが最も大事になることが分かった。
心は二つのことは考えられない。
「教えて頂く」、このことに集中していれば、
「教えてあげる」という心は潜入できない。
そして私にとってのキーワードが分かってきた。
それは「救ってあげたい」という思い。
これが私にとっての最大のバロメーターになる。
この心に気づけたら軌道修正ができるという事がお話しする中で明確になった。
学長の言葉を思い出した。
この世界は救ってあげる世界ではないんです。
救ってあげるといった時点で上下関係が生まれる。
救ってあげるのではないんです。
救ってもらうのです。
肝に銘じたい。