精神世界の旅が終わり、真我で出発します

神の愛

今日もメッセ-ジをお読み頂きありがとうございます。

今日は新聞投稿記事より抜粋してお伝えします。

「父の優しさ」

おしゃれで、好奇心が強い人だった父。

カメラに蓄音機と、新しいものには何でも飛びつき、

若い頃は押入れが現像室だった、と母は言っていました。

終戦後、引き揚げ者で、貧乏のどん底で暮らす昭和24~25年の頃でした。

ある日、父がラジオを買ってきたのです。

その時の母が、怖い顔で怒ったことを子ども心に覚えています。

きっと「食べることで精いっぱいなのに」と、ぜいたくに思ったのでしょう。

でも私たち姉妹3人は、ラジオの前に座り込み、童話を聞き、童謡を一緒に歌い、

「歌のない歌謡曲」というはやりの番組を楽しんだことを思い出すのです。

晩年も、カメラやラジカセを持って母とよく旅に出かけていました。

「おじいちゃんは優しいのよ。虫の声や小鳥のさえずりをテープにとって、

おばあちゃんに聞かせているの」と娘から聞いたとき、

耳の聞こえが悪くなった母への優しさに胸を打たれました。

苦しい時代にも、ラジオを買って私たち姉妹を喜ばせてくれた父。

愚痴をついこぼしてしまう母に、たくさんの自然の音を聴かせていた父の優しさ。

私にも敬老会の案内が届き、ふと両親を懐かしく思うのです。


山口県柳井市、主婦75歳


「私の想い」

親の愛は神の愛です。

私が初めて子どもを授かったとき、高齢の父は7時間も鈍行列車に乗って

私の子どもに会いに来てくれました。

その妻とはいろいろあって別れてしまいましたが、父の深い愛情は決して忘れることはできません。

私が全く自信を無くして、自分の価値はないと思っていた時

別れた相手の両親の前で(自分はあまりよく思われていなかったと記憶しています)

この子は気立てがいい子です。

思いやりの深い子です。

その言葉はいまだに私の心の中でこだましています。