精神世界の旅が終わり、真我で出発します

心を征服するための絶対的な二つの法則

今日もメッセージをお読み頂きありがとうございます。

今日は自分の心を征服するための絶対的な二つの法則について

ブッダの言われた言葉、比丘の修行において実際にあったことのお話を紹介します。

ブッダは、修行を進めるために大事なことを述べておられます。

一つは自分を導いていただく正しい師を持つことです。

仏教では師のことを善友といいます。

ブッダは善友について次のように述べられています。

「比丘たちよ、あなた方は日が昇ろうとする時、まず空が明るむのを知っているだろう。

それは日の昇るきざしであり、先駆である。

そのように比丘たちよ、もし善き友を持ったならば、

それはあなた方が修行を成就するきざしであり、

先駆である。」

またお侍者のアーナンダ尊者が「良き友を持つことは、修行を半ば成就することになりましょうか」

とうかがった時「アーナンダよ、そのように考えてはいけない。

善き友を持つということ、それは修行のすべてである」と、応えられたと言います。

誰を師に選ぶかが修行のすべてだとおっしゃっているのです。

もう一つのお話があります。

それは、指導を受ける側の、心です。

素直さ、誠実さがいかに大事なことかがわかるお話を紹介します。

「からっぽ経典の長老、トゥッチョー・ポーティラ」

お釈迦様の時代、トゥッチョー・ポーティラという名のお坊様がいました。

ポーティラ長老は、非常に学識があり、経典やテキストを完全に熟知していました。

たいへん有名で、いたるところで人々に尊敬され、、十八もの僧院で教えていました。

人々は「トゥッチョーポーティラ」という名前を聞いただけで恐れかしこまり、

長老が教えることに疑問を抱く人はおらず、長老の見事な教え方を尊敬していました。

ポーティラ長老はお釈迦様のところへ敬意を表しに行きました。

礼拝したとき、お釈迦さまはこういいました。

「やあ、からっぽ経典の長老よ」と言いました。

出会うたびにお釈迦さまは「やあ、からっぽ経典の長老よ」と言われたのです。

長老はなぜお釈迦様がそのように言われるのかを考え抜いた結果次のことに気がつきました。

「その通りだ!からっぽの経典―勉強だけして実践しない僧侶のことだ。

長老は修行することを決意しました。

しかし、長老を受け入れてくれるところはどこにもありません。

偉大な長老ということで誰も引き受け手がなかったのです。

とうとう、長老は悟っている若い沙弥(小さな子ども)のところへお願いに行きました。

沙弥は次のように言いました。

「いいですよ、私のところで修行できます。ただし条件があります。

本気で修行しますか?本気でなければ、受け入れられません」と言いました。

長老は、沙弥の弟子として修業することを固く約束しました。

沙弥は長老に衣をすべて着るように言いました。

長老の衣はどれも高価なものでした。

偶然、二人のそばに泥の沼があり、長老が衣をすべてきちんと身につけると、沙弥はこう言いました。

「では、これからこの泥沼に入って走って下さい。

私が止まっていいというまで止まってはなりませんし、

沼から出てもいいというまで出てはなりません。わかりましたか・・・・。

では入って走って下さい!」

きれいに衣を着ていた長老は泥の沼へ入っていき、走りました。

沙弥は、長老が全身泥まみれになるまで、やめていいとは言いませんでした。

ようやく『止まってください』と言いました

長老が止まると、沙弥は「では、上がってください」と言い、長老は泥沼から上がりました。

これによって、長老は自分の高慢を捨てたということがはっきりと分かります。

教えを受ける準備ができているということです。

もし学ぶ準備ができていないなら、あれほどの有名な先生が、

あのように泥沼に入って走ったりはしなかったでしょう。

でも長老はやりました。

若い沙弥はこれを見て、長老が真剣に修行することを決意しているということが分かりました。

若い沙弥は指導を授けました。

このように、指導を受けるものは、心から師を尊敬し、全てを受け入れて真剣に学ぶ気持ちを持たない限り

修行は成就できないのです。