精神世界の旅が終わり、真我で出発します

純粋な青年の心の詩

今日もメッセージをお読み頂きありがとうございます。

昨日、私が以前勤めていた学校の隣のクラスの子どもに

会ってきました。

クラスの同窓会に友達と一緒に参加してくれて、それ以来

年賀状のやり取りをしていました。

5,6年前から、多発性硬化症という難病にかかり、

ベッドに横たわる生活を余儀なくされるようになりました。

病気になったという報告を受けてから昨日で三回目の訪問をしました。

前回の訪問の時に、彼のお話を聞いて、

この子の純粋さに言葉を失ってしまいました。

私たちは、このような姿を見ると、かわいそうに、

さぞつらい毎日を過ごしているだろうと思ってしまいがちです。

前回の訪問の時に何気なくそのことを尋ねてみたところ、

とても穏やかに過ごしていることを語ってくれました。

その時に、この子は凄い、私なんかまったく人間としてかなわないと

恥ずかしさでいっぱいになりました。

そして、人を見ると外見だけで判断してしまう

人間の認識の愚かさにもショックを受けました。

彼はベッドに横たわりながら、詩をつくり、

それを「蜃気楼」という詩集にしています。

その中からいくつかご紹介します。


『海辺』

何百億回も繰り返し続けられる浪間。

今に始まった事ではない。

寂しくもある、この営み

これからもまた、続いていく。

何百億回も・・・

 


『道』

何処までも続く道。

見えない足取り。


『蜃気楼』

幻と現実のはざま、

真実を夢見て過ごす。

毎日を振り返りながら。


『氷』

限られた時間しか存在できない物体

そして

短時間しか存在できないもの。


『夕日』

眠りにつく前に陰っていく。

空を最後に焦がしながら。


『微笑み』

くったく無い笑顔。

何度その笑顔に救われただろうか。

きみの笑顔に、何度となく平和に戻っていく。


【弱い人ほど本当は強い】・・・佐藤康行著「図解神のメッセージ2より

強い人が強いとは限らないのである。

強い人とは、強くなろうと、自分ひとりの力をどんどん開発していくから、

ある程度までは強くなれるが、人間には必ず限界が来るのである。

しかし、何でも自分でやってしまおうとするので、

その限界にぶつかり挫折してしまいやすい。

自分は弱いと思っている人は、自分ひとりの限界を自覚し、

他人の協力を得ようとしたり、他の力を活用しようという発想になるので、

多くの力を結集させて、結果的に人間に人間一人では

到底できなかったような大きなことが成し遂げられるのである。

弱い人ほど、大いなる本当の自分の力に目覚めやすいのである。

本当の強さは全体として一つの大いなる力のことである。

配信停止をご希望の方はご遠慮なくお申し出下さい。