精神世界の旅が終わり、真我で出発します

岡田社長ありがとうございました

今日もメッセージをお読み頂きありがとうございます。
 
昨日は岡田社長のフォロークラスが福岡でありました。
 
会場は定員いっぱいで埋まり、いつもと違う熱気に包まれました。
 
学長は真我で生きることを、いろんな分野でそれぞれの成果を上げる形で
示して下さっています。
 
YSコンサルタント、心の学校、心のクリニック、男女の問題
 
一見内容が違うように見えても、学長が言われている真我は何一つ変わりません。
 
岡田社長のお話を聞いて、そのことが自分の中で明確になりました。
 
ギブ=テイク
 
光の灯台になる
 
相手中心と自分中心が同時に実現する
 
価値観を超えた世界
 
差別のない世界
 
混ぜてはいけない事・・・自分中心か相手中心か、サンタかドロボーか、絶対か相対か
 
神鏡の反射
 
これらがまさに一つになりました。
 
不思議とブッダの言われている内容が気になり、必死で調べてみました。
 
ブッダが言われた修行で最も大事なこと
 
それはカンティ。
 
和訳すると、忍耐、忍辱
 
これは、身の回りに何が起こっても、落ち着いていること、平安な心を保つこと
 
これはいいこと、これは悪いことと分け隔てしないことを言います。
 
まさに学長の満月の法則そのものです。
 
今まで、心の奥底に引っかかっていた、わずかな疑問が消え去りました。
 
あとは実践あるのみ。
 
岡田社長、本当にありがとうございました。
 
これからも福岡を光の発信源にできる様、ご指導よろしくお願いします。。

差別しない

今日もメッセージをお読み頂きありがとうございます。
 
今日は新聞記事より抜粋します。
 
ソフトバンクホークス、達川ヘッドコーチの今昔物語
 
「俺が打たれてもお前は2軍にいかないけど俺は即刻落ちる」
 
「いろんなピッチャーにに成長させられた」
 
ピッチャーからいろんな言葉を頂いたわしじゃけど、今でも一番強く心に残っている言葉があるんよ。
                                       
もう不動の正捕手に定着しているときじゃった。
 
ある試合で、新見(敏)さんというベテランの投手の方にマウンドに呼ばれて怒られたんじゃ。
 
マチュアでもプロでも活躍された方じゃったけど、言い方は悪いけど
 
その時はもういわゆる敗戦処理的な立場で投げておられた方でな。
 
「お前、いいピッチャーのときは一生懸命やって、
 
そうじゃない時はやらんのか」って激しい勢いで起こられたんよ。
 
敗戦処理のピッチャーのときこそ一生懸命やれ。
 
お前は俺が打たれても2軍に行くことはないけど、俺は即刻2軍に落ちる」
 
もう、自分が恥ずかしいを通り越して、大きな何かで強く頭をたたかれた思いじゃった。
 
それからどんな試合、どんな状況、だれがピッチャーであろうと、
 
常に同じ気持ちでプレーをしようと強く決意したんよ。
 
いついかなる時でも、同じようにプレーする選手がいい選手なんよ。
 
あの新見さんの言葉がなかったら、長く現役はできなかった思うし、本当に感謝しとるんよ。
 
今も強く心に刻んどるよ。
 
ちなみに、新見さんに怒られたのをきっかけにわしは自分で
 
「キャッチャー防御率」言うのをつけ始めたんよ。
 
投手がだれであろうと、わしがマスクをかぶった時の防御率よ。
 
で、シーズンが終わって見てみたら、それがチーム防御率よりいいことが分かっての。
 
「よし」と思ってそれを契約更改交渉に持って行ったんよ。
 
そしたら、年棒大幅アップよ。
 
今回は笑いなしじゃからこの辺でやめとくけど、
 
そこからわしの座右の銘は「平常心」に決まったんよ。
 
いついかなる時でも平常心で臨むことは大事、という事で今回は閉めとこうかの。
 

差別しない。
 
これは私が学長から学んだ最も大事なことだった。
 
人を裁かない。
 
ジャッジしない。
 
学長の話の中で次のような内容があった。
 
「たとえ相手がぶつかってきて、自分には全く過失がなかったとしても自分から謝るんです。
 
心の世界は普通の勝ち負けで言うと負けた方が勝つのです。
 
自分に非が無くても謝っていいじゃないですか。
 
相手がそれで気分よくなればそれでいい。
 
相手の方がいい気分になれる
 
そのことを一番にする世界。
 
心の世界はそういう世界なんです。
 
学長の凄さを見ると同時に、精神世界の神髄を見せて頂いた思いでした。
 
どんな方でも相手の方に最大の敬意を払う。
 
私の心の礎です。

光を世界へ

今日もメッセージをお読み頂きありがとうございます。
 
7月9日に「チーム達人満月笑顔福岡の会」をしました。
 
途中参加も含めて15人もの方々にご参加いただきました。
 
この会を始めるとき、もし一人のご参加でも二人で徹底的に学んで
 
その方が本当に満足して頂けるような会にしようと心に決めていました。
 
私一人のときは瞑想に取り組む覚悟でした。
 
しかし、初めから二けたの人数のご参加を頂き、驚きとともに、本当に感謝でいっぱいになりました。
 
参加される方々の純粋なお気持ちに接し、心から感動し、絶対にやってやる
 
参加された方々がこの会に参加して良かった、自分の人生の転機になった
 
このような会に絶対にして見せる!
 
強い覚悟を持つことができました。
 
今回の内容は、岡田社長のセミナーの前提について学び
 
学長のおかげ様のワークに取り組みました。
 
途中で「真我のままに」の歌も歌い、ゲームも取り入れながら楽しく進めることができました。
 
会が終わってからの懇親会も最高でした。
 
福岡から光を放つ
 
必ずやり遂げます。

神自在と観自在

今日もメッセージをお読み頂きありがとうございます。
 
今日は佐藤康行著「満月の法則」から神自在と観自在について考えてみます。
 
観自在というのはあるできごとを様々な見方で捉え直すことだと、
 
学長のお話を聞いて自分は考えています。
 
一方、神自在はその出来事自体が最高の状態であることに気づくことだと
 
学長のお話から自分は解釈しています。
 
満月の法則に学長ご自身のご体験を述べられています。
 
学長は普通では最悪と捉えることをすべて満月、それが最高に良きこととして捉えておられます。
 
本当に凄いとしか表現できません。
 
しかし学長は誰でもできると明確に仰います。
 
本の中から神自在と思える個所を挙げてみたいと思います。
 

「泥沼は“まんまる”からの最高のプレゼント」
 
ここまでは長々と私の軌跡をお話してきましたが、最近、改めてこう思います。
 
あの時母親が死ななかったら…
 
あのとき実家が火事にならなかったら…
 
あのとき脳出血で倒れなかったら…
 
そう考えるだけで、ゾッとします。
 
母親が死ななかったら、私にはあんなに早く自立心が芽生えなかったでしょう。
 
実家が火事にならなかったら、「佐藤家は俺が守らなくてはならない」
 
という熱い思いにならなかっただろうし、がむしゃらにセールスの仕事に打ち込むこともなく、
 
トップセールスマンにもなれなかったでしょう。
 
お金も貯まらず、レストランも開店できなかったでしょう。
 
仮に開店できたとしても、セールスで学んだ「仕事とは己の心を開拓するものである」
 
という事に気づかず、「損する勇気」すら持てなかったと思います。
 
脳出血で倒れなかったら、健康の大切さや有難さが分からず、無理を続けて、
 
今頃はもっと大きな病気を患っていたかもしれません。
 
いや、ひょっとしたら、死んでいたかもしれません。
 
あなたも同じだと思います。
 
たとえ会社をクビになったとしても、失恋(離婚)したとしても、全て「良かった」のです。
 
会社をクビになったおかげで、人間関係のしがらみから解放されますよね。
 
自由になれますよね。
 
家族との団らんの時間を多く持つことができますよね。
 
新たな出発ができますよね。
 
能力が生かせる仕事にも就けますよね。
 
そして、何よりリストラに遭って会社をクビになった人の
 
心の痛みが分かるようになりますよね。
 

どの人もみんな完全完璧

今日もメッセージをお読み頂きありがとうございます。
 
今日のお昼は、家の近くの小さな喫茶店に行きました。
 
そこは年配の方が多くいらっしゃっています。
 
お店に七夕が飾ってありました。
 
短冊に書いていることを読み合って、皆さんにこにこしています。
 
「私はぽっくり行きますようにと書いたよ」
 
「私はじわじわと行きますようにと書いたわよ」
 
「私は再婚できますようにと書いた」
 
みんな大笑い。
 
お店のなかはじんわりと温かく癒されました。
 
日本の社会がこのような関係が当たり前になる。
 
世界中が癒しの空間になる。
 
一日も早くこのような世界が来てほしい。
 

佐藤康行著「満月の法則」より抜粋します。
 
『「満月の法則」は学びよりも実践が大切!』

「仕事も人間関係も恋もうまくいかない」
 
「ツキに見放され、にっちもさっちもいかない」
 
人生がいっこうに報われない」

こうした悩みを抱える人たちのために、
 
これまで多くの人生論や自己啓発関係の本が出版されてきました。
 
それらの本には一つの共通点があることをご存じでしょうか。
 
「あなたのこういう点が至らない。ここがなっていない」
 
「だから、こうしなさい。ああしなさい」
 
「そうすれば、うまくいくようになりますよ」
 
要するに、十点、二十点、三十点と加点していく発想です。
 
私の考え方は違います。
 
“まんまる”は「愛そのものの世界」
 
“まんまるは「感謝そのものの世界」
 
“まんまるは「喜びそのものの世界」
 
完全・完璧で、何一つ迷いのない素晴らしい世界。
 
人間はその“まんまる”そのもの。
 
だから、どの人もみんな完全・完璧な存在。
 
人間はすでに生まれながらにして百点満点。
 
点数を上げる必要などないのです。

「自分はせいぜい、二十~三十点程度」などと思ってしまうのは、
 
長らく「横の法則」にどっぷりとつかってきた過去の記憶がそうさせているだけ。

不完全な自分から自分を見るのではなく、完全・完璧から自分を見るようにするのです。

出会いに感謝

今日もメッセージをお読み頂きありがとうございます。
 
最近楽しいことが続きます。
 
一昨日は、以前お世話になっていた仏教サークルの方々にお会いしてきました。
 
たまたま私が行った日に、今まで来られていなかった方々がお見えになっていて
 
沢山の方々に感謝の気持ちを伝えることができました。
 
2年ぶりに皆様にお会いできて感激しました。
 
その時の法話が「仏教の教えとは何か」というタイトルで、
 
仏教の核心部分をお話しなさっていたので
 
今までの自分がやってきたことの総括ができ、学長の内容を再確認できました。
 
サークルに参加することは難しいけれど、皆様との関係はずっと続けていきたいと
 
心から思いました。
 
昨日は教え子と36年ぶりに再会し、当時の話に花が咲きました。
 
驚いたことは心の世界のことが通じ合っていることが分かり、感動したと同時に
 
子どもながらに大人を直感的につかむ能力があるのだという事が良く分かりました。
 
「先生、ぼくは、この頃に読んだ本が忘れられません。
 
おじいさんが、お婆さんを病気で亡くして悲しくて、どんどん衰弱していくお話でした。
 
おじいさんは、いつも、お婆さんはわしと人生を過ごして幸せだったのじゃろうか?
 
わしはお婆さんを幸せにすることができたのじゃろうか?
 
そのことばかり考えてどんどん衰弱していきました。
 
そこで、ある方がお爺さんにこのような話をされたのです。
 
お婆さんが幸せじゃったかどうかより、あなたがお婆さんのためにどんなことをしてあげたか、
 
お婆さんに何をしてあげたかを考えるようにしたらええのじゃ。
 
ぼくは不思議とこの話を覚えているのです。]

小学校3年生ぐらいでこんな内容をいまだに覚えている。
 
彼と出会えたのも必然だった。

ありがたい、ありがたい

今日もメッセージをお読み頂きありがとうございます。
 
私たちは、気がつくと不平不満、刺激で心が見たされないことを憂いている自分がいる。
 
暑い、きつい、体がだるい、冷房がきつい・・・・
 
本当はありとあらゆる力で支えられ、生かされていることに気づかないままに。
 
今も心臓は血液を送り出し、60兆の細胞は働き続けてくれている。
 
ふと、ありがたい、ありがたい、ありがたいと呟いてみた。
 
夏の青空、今年もセミが鳴き、夏の季節が訪れてくれた。
 
花火を見たり、海で泳いだり、山に登ったり、夏だからこそできる楽しみに満ちている。
 
今年もこの季節が訪れ、一年に熱い思い出を作ってくれる。
 
太陽が輝いているおかげで、健康が保たれ、食物が育ち、生命が生かされる。
 
ありがたい、ありがたい。
 
この言葉はいかに愛されているかに気づかしてくれる。
 
学長のおかげ様のワークをしてみた。
 
今、この瞬間にいかに満たされているか・・・
 
真我のままに生きていけばいい。
 
ありがたい、ありがたい
 
今日も生かされている命に感謝!
 
支えられている無限の愛に感謝!