精神世界の旅が終わり、真我で出発します

障害は財産だ

今日もメッセージをお読み頂きありがとうございます。

今日も癒される記事からご紹介します。

「ババの出番」

スーパーでの買い物中、アッシー君の夫が「おい。ババ。また出番だよ」という。

見てみると、大声でなく男の子を抱っこしたお母さんが、困り果てていた。

私は男の子の前に行き、「何歳かな?」と、自分の指を1本、2本、3本と出す。

2本目で男の子の泣き声が小さくなった。

これでババの勝ちが見えた。

だめ押しで、すかさずほめる。

「僕の帽子、ステキ。いいよ。似合うよ」

泣き声はなくなった。

母親に「ありがとうございました」と会釈された。

帰り際、バイバイと手を振ると、母親に抱っこされた男の子が返してくれた。

そればかりか、母親の肩越しに、指ピストルで撃ってきた。

ババが大げさに「やられた」と倒れるまねをしたら、すっかり笑顔になり、

また「パン、パン」と撃ちながら店を出ていった。

様子を見ていた店員さんからも、お礼を言われた。

そんな話を娘にすると、「(子どもと)精神年齢が近いんじゃない」と言われた。

そうか、と納得している。

子どもが泣きやんでくれて、若いお母さんから笑顔が出ると、私もうれしくなってしまう。

(長野県松本市 美容師76歳)


佐藤康行著「ほんとうの自分、ほんとうの人生」より抜粋します。

「障害は財産だ」

先天性障害として生まれてきた子どもがいます。

例えば、生まれつき手や足がない、あるいは脳性麻痺などの

重大な障害を背負っている人が少なくありません。

古来、宗教では先天性の障害を、因縁や業が深いということで片付けています。

障害を背負っている人に対して業が深いとか、因縁が深いという言い方をする人は、

全然心のことが分かっていないと思います。

駄目な人に百回、駄目なんだと聞かせたらいったいどうなるのでしょうか。

ますます落ち込んで駄目になるでしょう。

心というのは、思った分量だけ増えるのです。

ですから、相手から駄目と言われたら、「駄目」という思いがますます増えます。

ということは、ますます業も増えるということです。

しかしそれは、あくまでも心の世界でしかありません。

その奥の魂、ほんとうの自分に目覚めさせた時に、人間は完全な宇宙そのものであり、

愛そのものであり、神そのものであることを自覚することができるのです。

それを自覚すると、因縁や業などというものはとたんに消えてしまうのです。

それは、たとえ生まれつき腕が曲がっていようと体がどうなっていようと、

魂の奥から物事を見たら、たいした問題ではありません。

そこからが出発なのです。

どんな人だって、オギャーと生まれた時に既にそれぞれの性格を持っています。

赤ちゃんでも性格はあるのですから、真っ白ではありません。

それと同じと思えばよいのです。

腕がどうなっていようとも、目が見えなくとも同じだと思えばよいのです。

そこから出発、それを土台としてどう考えるかの方が大切なことなのです。

まずはほんとうの自分に気づく。

そして、もう一つ重要なのが、今が出発である、

与えられている現状がスタートラインであると考えることです。

生まれ落ちた時、金持ちであろうが、貧乏であろうが、

障害者であろうが、それが最高の出発なのだと自覚することが大切なのです。

満月の世界を夢見る

今日もメッセージをお読み頂きありがとうございます。

今日は、新聞のひととき欄に心温まる投稿がありましたので

ご紹介します。

「思い出すこと」

この時期になると思い出すことがある。

高校一年の大みそか、同じクラスのM君から、私の留守中に電話があった。

「外からみたいだったわ。またかけますって」と母が言った。

再度きた電話は、初詣の誘いだった。

男性からの誘いに家族全員が驚いた。

母は少し心配したが、父と姉の盛り上がりようはすごかった。

「スカートで行け」「私の服、貸してあげる」。

盛大に見送られて、家を出た。

私とM君は夜に出発し、電車で1時間半かけて鶴岡八幡宮に行き、人ごみの中お参りした。

二人とも少し緊張していたと思う。

M君がたこ焼きを買ってきてくれて、一緒に食べながら歩いて海を見て、翌朝早く帰ってきた。

あれから34年。

一男一女の母になった私は考える。

自分の子が、誘うにしても誘われるにしても、あの日の両親のように喜んで送り出せるかと。

心配が先に立ちそうな気がする。

あの日、M君は自分の親に本当のことを言ってきたのだろうか。

公衆電話から電話してきた彼の勇気を思う。

今の消息は知らない。

M君に年ごろの子供がいたら、あの日のことを思い出すことがあるだろうか。

長崎県佐世保市・主婦50歳)

この記事を読んだ後、心がほっこりとして、とても温かくなった。

「満月の法則」が社会に浸透して、いろいろな問題と思われることも

周りが敵視せず、全ての物事を応援するようなことができるようになった時

この家族のような温かい雰囲気の関係性が当たり前のことになってくることでしょう。

夢のような世界です。

わくわくしてきます。

「私の満月物語」

時々体が不調になります。

心臓を患っているため、不調になったときは少ししんどくなります。

(真我に出会ってから、病気自体は全く良くなっています)

今までの私であれば、そのことを気にかけ、落ち込み、一日不機嫌に過ごしていたと思います。

そして、体のことが心配になって、行動する勇気も失っていたでしょう。

今はこの心臓の不調のおかげで、体のケアができると前向きにとらえる自分がいます。

もし、不調がなければ、無理をして取返しのつかない状態になってしまうことでしょう。

学長に出会わせて頂いたのも、心臓病で倒れたおかげです。

昨年度、心臓に感謝の気持ちを伝えていた時、涙が溢れました。

全ては満月

今日もメッセージをお読み頂きありがとうございます。
昨年出された学長の書籍「満月の法則」
私たちの本質は何かをとらえ直し、全ての物事を満月として捉え
人間の認識を超えていきながら、原因と結果の法則も、鏡の法則も超えていく。
この満月の法則をとても分かりやすく書かれている学長のブログを見つけました。
人類がこれに目覚めることができる時代がもうそこまでやってきている感じがしています。

こんにちは、佐藤康行です。
 もし、あなたが会社からリストラにあったり、会社を倒産させてしまったとしたら、
それは、あなたにとって、人生最大のチャンスなのです。
 自分を大きく変えようとするなら、一番手っ取り早いのは、生まれ変わることです。
生まれ変わるというのは、今までのものを全部ゼロにして、それから新しく再生するということです。
 家も、改築や増築では、土台が変わっていないから本当に強固にはなりません。
また、継ぎ接ぎだらけで見栄えも良くありません。
総てが中途半端なのです。
一回更地にしてから、新しく建築した方が、いい家ができるのです。
 リストラや倒産というのは、一回更地にするということです。
ですから、言わば、一回死んで生まれ変わるのと同じなのです。
 会社を経営している人が、会社をわざわざ解散して、
新しい会社を作り直すということは、普通はできません。
また、会社に長年勤めている人が、何の問題もないのに転職するということも、
基本的にはなかなかできません。
あまりうまくいっていなくても、選択を間違えたかなと思っていても、
余程のことがない限り、だらだらとそのまま続けることがほとんどです。
 しかし、会社が倒産したり、リストラに遭ったりすれば、
それを機に全く新しく生まれ変わることができるのです。
そのことによって、今までの誤りを全部修正することができるのです。
そういう意味で、最大のチャンスと言えるのです。
 悪い所ばかりを見ないで、再生できるチャンスなのだと捉えるのです。
あなたの心が落ち込まなければ、いくらでも生まれ変わることができるのです。
バネにできるかできないかは、明るい方を見るか、暗い方を見るかで分かれます。
 物事を一生という単位で見るのです。
仕事の中に人生を入れてしまうと、仕事がうまくいかなくなると、
自殺してしまうことにもなるのです。
しかし、仕事は人生の中の一部と捉えることができたら、
極端に言えば、一時的にホームレスになろうが、いつでも立ち直れると思うことができるのです。
紆余曲折、山あり谷ありの人生も楽しいじゃないか、と考えることもできます。
そのことによって、魂に磨きがかかるのです。
そのことによって、家族のことを思いやれるようになれるかもしれません。
そのことによって、自分自身のことを真剣に考えることができるかもしれません。
自分の内面的な部分を高めることができるのです。
 また、新しい出会いが生まれることもあります。
今までの仕事が、本当に一番素晴らしい仕事と言えないかもしれません。
しかし、ゼロになったら、これから一番いい仕事を見つけることも可能なのです。
出直しのチャンスなのです。
あなたは、素晴らしい機会に恵まれているのです。
そのように明るく捉えると、ものすごく希望が持てるのです。
 リストラや倒産にあうのは、最強運への切符を手に入れたのと同じなのです。
 会社が倒産したり、リストラされたら、「人生最高のチャンスが訪れた!」と思いましょう。
そういうときこそ、自分を大きく変えることができるからです。
あなたの心が落ち込まない限り、あなたは生まれ変わります。
 生まれ変わるというのは、いままでのものを全部ゼロにして、
新しく人生を再生するということです。
だが、人はそれほどうまくいってなくても、よほどのことがない限り、
「いまの生活」をだらだらと続けてしまうものです。
リストラや倒産、あるいは病気を機に、まったく新しくやり直すことができるのです。
これは成功を目指して新たに取り組む「新プロジェクト」にほかなりません。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
明日も20時に更新いたしますので、ブログをお楽しみに!

 

成長を支える心

今日もメッセージをお読み頂きありがとうございます。

私事で恐縮ですが、私の好きな女優に、紅白の司会をした「有村架純」さんがいます。

彼女の記事が心に留まり、少しだけ抜粋します。

「自分の中の矢印をもっと外に向けて」

「自分はすごく運がいいと思うんです」

近ごろは主演だけでなく脇でも印象的な演技のできる女優として

映画やドラマの出演オファーが途切れることなく、好感度の高さからCMにも数多く起用される。

若くして日本アカデミー賞ブルーリボン賞も受賞した実力派にしては

控えめな自己評価に思えるが、彼女がそう語るのは謙遜だけが理由ではない。

女優を志して上京した当初は、オーディションを受けても結果の出ない日が続いた。

「人に聞かれたら、「睡眠時間は移動のときだけです」って答えたいなあ、

なんて冗談ぽく考えていたんです。

そのころを思えば、もっと寝たいなんて言ってる場合じゃない!って目が覚めます(笑)」

このまじめさが共演者やスタッフから愛される理由の一つだろうが、

本人は「面白いこととか全然言えなくて、自分のそんなところが嫌なんです。

という。

しかし、その感性と独自の表現は十分に個性的だ。

「これまでの私は、ずっと矢印を内側に向けて、こうしなくちゃ、

これができなきゃダメだって、いつも「自分」だったんです。

考える対象が。

でも私のまわりには、だれかを感動させたい、喜んでほしいという気持ちが

表現のモチベーションになっている人がたくさんいて、最近はそれがすてきだなって。

だからもっと矢印を外側に向けていくことが今の目標です」

一足とびにステップを上がる器用なタイプではないのだろう。

しかしだからこそ、その足取りは確かで、簡単にはぶれない。

4月の放送開始のNHK連続テレビ小説「ひよっこ」の主演が決まり、撮影が始まっている。

作品も役もずいぶん幅広く挑戦している有村さんだが、彼女が演じると不思議とあまり違和感はない。

この人にはこんな一面もあったのか、と素直に納得させられてしまう。

『演じる役の「芯」は何か、いつも探すようにしているんです。

その人を支える中心、中から動かすガソリンみたいなもの。

それがわかれば、この言葉をどんな間合いで話すかと言ったことも自然に見えてきます」

自他ともに認めるまじめな性格で、撮影前には役や作品の背景についてできるかぎり調べるという。

だから今の成功も必然に思えると伝えたところ、返ってきたのが冒頭の言葉だ。

いいえ、ただ運がいいんです、と。

「ある方に、「私はすごく運が良くて」という話をしたら、

「それはあなたが周囲に感謝をしているから、自然にそんな言葉が出てくるんだよ」

と言われて。

感謝の気持ちをもって接していれば自然に人を引き付けるし、運も引き寄せるからそのままでいなさい、

と教えてもらって、そうなんですか、そんなにいい言葉ならもっと使わなくっちゃって(笑)

それ以来いろんなところで言ってます」

この記事の「矢印を外に向ける」「芯をいつも探している」

「矢印」や「芯」などの言葉は学長のお話によく出てくるものです。

彼女は、真我の心で行動していると直感しました。

成長を続ける人には必ずそのような心があると感じました。

実践の年・2017年

新年、明けましておめでとうございます。

今年もどうぞよろしくお願いします。

29日から家族で沖縄に滞在し、今日帰ってきました。

メッセージを4日間お休みいたしました。

今日から、2017年のスタート切らせて頂きます。

昨年は、私にとって生まれ変わったような衝撃的な年でした。

佐藤学長に出会うことで、私の心は全く変わってしまい、原始仏教であれだけ求めても得られなかった

心の平安を感じることができるようになり、学長が言われていた、ここはスゴロクで言うと{あがりです}という言葉が

心に染みました。

家にいて心の問題を感じなくなっても、社会の試練の中で本物かどうかを確かめてみました。

教育現場で、環境は非常に厳しいものでしたが、自分の課題があることに気づかされました。

学長が言われていた「ここからがスタートです。」の意味が本当に実感できました。

今年は実践の年です。

真我を体現する年です。

体現していくことで真我はますます開かれていく。

学長が一番力説しておられる、「大聖は街で悟る」の実践です。

病院でのカウンセラー、メンタルヘルスの企業講師、ビー〇○の営業の仕事

実践の機会は準備万端です。

必ずやり遂げます。

満月の法則百回峰セミナー

今日もメッセージをお読み頂きありがとうございます。

昨日は、満月ミリオン百日回峰セミナーの二回目が中継されました。

満月ミリオンの取り組みを始めてから、自分の身のまりがどんどん変化する人が増えてきています。

会社で、自分の苦手なタイプの人に慕われて、満月の法則で接していくうちに相手の方が変化していき

恐る恐る手渡した満月の法則をその方が興味を持って読まれて、

学長のセミナーにも参加され、その方の長年苦しんでこられた病気が完治する現象が起きています。

ずっと会話のなかった夫婦仲が回復し、自然な会話が戻ったり

会社の中で信頼されて、そのような仕事が回ってきたり、

会社の給料がどんどんアップしてきたり、たくさんの体験が発表されました。

その体験発表を聞いてすごい世界だなと感じました。

ある方の発表の後で、学長はこのように言われました。

見えないものに価値をつけていくこと。

価値は自分が認めない限り存在しない。

みんなの前で発表することは価値を認めたことになる。

価値を認めた瞬間に自分の中にある思いが変わっていく。

思いが変わると結果が変わる。

だからこそ価値を認めるところからが出発になる。

物にしても誰かがその価値を値段を決めている

ましてや自分という価値だから、一番高い価値をつけてもいい。

そうすればそのまま相手の価値を高くつけることができるようになる。

そうするとどんな人も自分の価値を高くつけてもらうとみんな嬉しい

(すべては人間関係なので、やることなすことが全てうまく運ぶようになっていく)

満月の法則はそういう原理。

この法則の原理が少し見えてきた感じがします。


私はこのライブを見て、「満月の法則」を広める活動の甘さを痛感しました。

一か月前から、友達に本の紹介をしようと決めて、まだ実行していない自分に

行動力の弱さを感じ、喝を入れようと思いました。

行動に移す時間は限られています。

この百日回峰セミナーが終わる3月までの間に全力を尽くそう・・・

心に誓いました。


「私の満月物語」

これだけ学長に接してきて、お話を聞いて、宇宙の真理を聞き続けているにもかかわらず

心のどこかにお金の不満や、心配を抱えている自分がいます。

昨日ふと気がつきました。

今の自分は最高の環境に生きている。

本当に毎日、課題が山積して、毎秒を意識しながら充実した生活できる幸せ。

少しずつ少しずつ満月の法則が心に染み込んできています。

 

私たちの本質は何?

今日もメッセージをお読み頂きありがとうございます。

今日は佐藤康行著「たった2日であなたを神に目覚めさせてみせる」

より抜粋します。

「神には目的など存在しない」

神が人間を創造した目的などは本来ない。

目的が何かと言うのは、勝手に人間が思索しているだけで、

もともと神には目的などは存在しないのである。

水も空気もただそこに在るだけである。

ところが、私たちが目的をもってそれらを利用しているために、

どんなものに対しても目的意識を持ってしまうのだ。

しかし、それは人間がそう捉えているだけであって、

すべてのものはただそこに在るだけなのだ。

星も太陽も光も、そして地球上の生命も、ただそこに在るだけで、

神もただそこに在るだけなのである。

全ての生きとし生ける万物は、ただそこに在るだけである。

そして、総ては神の顕れだ。

神は命である。

地上には何百万種類という生命体が生息しているが、それらすべてはたった一つの命でできている。

そのたった一つの命がただ在るだけなのだ。

太陽は何かの目的で光を放っているわけではない。

ただ太陽はそこにあるだけだ。

結果として地球上のあらゆる生命体がその恩恵を受け、

命の営みを繰り返しているが、しかし、太陽はただそこにあるだけである。

太陽は生命を生かそうという目的も、生命を焼き殺そうという目的も持っていないのである。

私たち人間から見た価値観で神を捉えることはできないし、また捉えるべきではない。

私たちの価値観や目的意識は、すべて私たちが後天的に造り出したものに過ぎず、

その価値観で神を見るべきではないのである。

私たちの観念ではなく、神から見ることによってはじめて、

全ての真理を見通すことができるのである。


「私の満月物語」

真我を追求してきて、分かったようで分からない自分がいます。

この本の「究極は一つ、神の原理があるだけだ」にはこう書いてあります。

人間を神と捉えたら、戦争も闘いも病気も一切存在しない。

何も最初から起きていない。

何者も死んではいないのである。

神は最初から死んでもいないし、生まれてもいないし、何も起きていないのだ

実相とは神のことである。

真我とは神のことである。

神には戦争も病気も闘いも憎しみも恨みの何もないのである。

私たちの目には様々な出来事が移り、私たちの耳には様々な情報が入ってくるが、

それは私たちの五感で見たり聞いたりしているだけであって、神の世界にそのようなものはない。

この真実がわかれば、初めてすべての謎が解けてくるのである。

どうやら、この認識の捉え方にポイントがありそうな気がしています。