生きるとは
今日もメッセージをお読みいただきありがとうございます。
今日は新聞記事より抜粋してお伝えします。
窓 病室で『この人と再婚して』
20年前。
ゆかりさんは、ある子宮がん患者の主治医になった。
その年の春から、川崎市の病院で緩和ケアを担当。
入院してきた患者のゆり子さんと夫の雄二さんはむつまじかった。
夫は病院に寝泊まりしながら仕事に通った。
そんな夫婦の治療の相談に乗りながら、病室で3人で食事をすることもあった。
夏の終わり、妻が冗談っぽく夫に言った。
「もう、あと長くは生きられないけど、あなたは再婚してね。
でも、私が認めた人じゃないとダメ。」
そして、病室にいたゆかりさんを指した。
「それは、この人」
夫は「何言ってんだよ」と笑って流した。
ゆかりさんも笑顔を返した。
1か月後、妻は息を引き取った。
再会したのは翌年の秋。
病院で開いた遺族会に、雄二さんがやってきた。
その後、食事にも行った。
ふいに、雄二さんが涙をこぼした。
「妻が元気だったら、こんなの、一緒に食べたかった」
次第にひかれ合い、あの時の言葉が背中を押した。
1年後に結婚した。
2001年に宮崎市に引っ越し、ゆかりさんは地元の病院の緩和ケア医長になった。
患者が最後まで安心して暮らせる場所を―。
そんな思いから、民家でスタッフが患者を支える在宅ホスピス活動をNPO法人と始めた。
雄二さんも支えた。
宮崎で夫婦で走り回って14年。
「話がある。深刻な話」。
13歳の息子が寝入った夜中、ゆかりさんが自宅の廊下で険しい顔をして切り出した。
「腹膜がん。もう、だいぶ大きいんだ。あと3,4か月かも」
仕事のペースを緩め、これまでできなかった料理やフラダンスを始めた。
初めて2人で海外旅行に行き、モンゴルで満天の星を見上げた。
昨年2月、夫と息子に見守られて、ゆかりさんは旅立った。
2人の妻をみとった雄二さんは今、在宅ホスピスを広める活動を続けている。
亡くなる直前、ゆかりさんは雑誌に手記を寄せた。
「一日一日を丁寧に『暮らす』、一つ一つに心を込めて『暮らす』
その積み重ねが『生きる』ということなのだと、強く思いました」
「私の想い」
命は永遠。
亡くなったゆりこさん、ゆかりさんはこの世の使命を全うして雄二さんを応援している。
この3次元に生まれてきて、やるべき使命は何か!
思い残すことなくやりきって最高の人生にする。
「一日一日を丁寧に暮らす、一つ一つに心を込めて暮らす
その積み重ねが「生きる」ということなのだと、強く思いました。」
ゆかりさんの言葉がずっしりと心に響きます。
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