執着の愛と放つ愛
今日もメッセージをお読み頂きありがとうございます。
新聞の投稿欄に心温まる記事を見つけましたのでお伝えします。
10月6日の「折々のことば」は、「おんぶに抱っこ」という言葉だった。
おんぶされた時、「子は親の背のぬくもりを感じながら、
その肩越しに、親と同じものを見やる」と。
それは私にとって新鮮な驚きで、2人の子どもをほとんどおんぶで育てたことを思い出した。
抱っこバンドもあったが、おんぶの方が動きやすいので、使う時が少なかった。
黒いビロードのおんぶヒモとねんねこが、私の外出着だった。
10歳下の弟が2歳くらいの頃、麻疹にかかり、体を冷やしてはいけないと、
初夏に厚着をした弟をおんぶして、2人とも汗だくになったことを覚えている。
私は子どものころから弟のお守りでおんぶに慣れていたし、
子育て中もそれが当たり前だったが、外国映画ではおんぶ姿は見ないし、
おんぶするから日本人はガニ股になるという話もあって、格好悪いと思っていた。
しかし、「折々のことば」を読み、そうか、子どもたちは背中から家事も、
買い物も、立ち話のときも、母親と同じ風景を見ていたのだと気がついた。
遠くに住む、まだ結婚していない孫娘にこの話をしたら、
「赤ちゃんが生まれたらおんぶで育てる」と言った。
この記事を読んだとき、私が幼いころ母親に愛された温もりを感じていたことを思い出しました。
学長は、「図解神のメッセージ」で、執着の愛と放つ愛でこう述べておられます。
愛には、執着の愛と放つ愛がある。
執着の愛とは、自分のものにしないと気が済まないという思いである。
子どもも妻も、すべて自分のものにしようという思いである。
総て自分から出発している。
「神のメッセ-ジ」より一部抜粋
私たちの苦しみは執着の愛から来ています。
これに対して、真我、宇宙の愛は放つ愛です。
全ての人間は、「認めてほしい」「わかって欲しい」「愛してほしい」という思いを持っています。
相手の立場に立って、認めてあげる、分かってあげる、愛してあげることができれば
全ての問題は解決することでしょう。
偽我から、エゴから出発するのではなく、宇宙の真理、真我から出発することで
問題は解決していきます。
「私の満月物語」
最近いろいろなことが、スムースに流れるようになりました。
バス停に行くと、すぐにバスが到着したり、スーパーで行列ができると
すぐに店員さんが来て、レジを済ませることができたり
それが、たまに起こるのではなく、常にそういう状態が見られる感じがしています。