精神世界の旅が終わり、真我で出発します

真我瞑想の凄さ

今日もメッセージをお読み頂きありがとうございます。

 

昨日瞑想の素晴らしさについて触れました。

 

今日は真我瞑想について書かせて頂きます。

 

4月からずっと続いていた体の不調。

 

今日やっとその原因を突き止めました。

 

新しいクリニックで、カウンセラーや、瞑想指導を担当することの

 

プレッシャーからくるストレスであることが分かりました。

 

3時に目が覚め、体は元気なのに起きれない、だるい。

 

眠ろうと思っても眠れない。

 

気がつくと「無い」「無い」「無い」の瞑想をしていました。

 

しばらくすると、うん?何か変わってきたぞ!

 

そのまま、「無い」「無い」「無い」を繰り返していると起き上がれました。

 

そして、元気な時にしていたストレッチヨガができます。

 

その間も「無い」「愛の光」「無い」「愛の光」を繰り返しました。

 

体の辛さの正体はストレスだったのかとやっと気がつきました。

 

そういえば、メンタルヘルス講師の受験に行くときもすごいプレッシャーで

 

胃痛がしてきたときに、「無い」「無い」を自然に繰り返してどんどん症状が取れていったことを思い出しました。

 

心臓の手術後、心臓が痛むときに、学長に出会って真我瞑想の本を読んでいたので

 

「無い」「愛の光」を繰り返すうちに症状が軽くなることにびっくりし

 

これは間違いない、体の細胞が真理を知っているんだと感激したことを思い出しました。

 

今までは朝早く起きた時には、必ずきつくなって再度布団に入っていたのが

 

今日はこの瞑想で過ごしていると全く元気で、日頃しない仕事をどんどんさばいている自分がいます。

 

学長に出会った時に読んでいた「一瞬で宇宙と一つになれる真我瞑想」の本を読み直しました。

 

こんなに凄い本だったのかと衝撃を受けました。

 

よし、徹底的にこの真我瞑想を追求してみよう。

 

腹が座りました。

 

 

何のために生まれてきたか

今日もメッセージをお読み頂きありがとうございます。

 

昨日、一昨日と杉浦先生の瞑想セミナーに参加しました。

 

もう言葉では表現できないくらい感動しました。

 

何のために瞑想しないといけないか、瞑想すればどうなるのか

 

その神髄を学ばせて頂きました。

 

もうやるしかない、私が生きるのは何のためか、この肉体は

 

業カルマは何のためにあるのか、自分の中で明確になりました。

 

杉浦先生は、学長にお会いできた時と同じ衝撃を受けました。

 

こんな人見たことない。

 

すべてが利他の方です。

 

参加された皆様に名刺をお配りになり、いつでも電話をしてくださいと呼びかけられます。

 

おそらくご自分のことをされる時間はないに等しいのではないかと感じました。

 

瞑想で私たちの目の前で、参加者がどんどん変わっていかれる。

 

瞑想すればするほど、真我への確信が深まり

 

真我に覚醒するために瞑想は欠かせないという思いが強くなっていきます。

 

私は出会う方々になんという失礼な認識をしていたのか

 

愕然とさせられました。

 

学長が言われる三日月。

 

私たちの認識では真実は捉えられない。

 

真我の実践瞑想で透明にしていくしかありません。

 

最後の感想発表で、私が尊敬している方々が自分の良さを認められない発言をされているのを聞き、

 

怒りと悔しさで心が震え、不覚にも涙してしまいました。

 

世の中は、こんな方々で埋め尽くされているのかもしれない。

 

もう自分がやるしかない。

 

一人でも多くの方にその方の素晴らしさを伝えていかないといけない。

 

プロカウンセラーの道に決意がみなぎりました。

完全になること

今日もメッセージをお読み頂きありがとうございます。

 

今日も佐藤康行著「魂の開発講座」より抜粋してお伝えします。

 

「完全になって、不完全を見るのである。

 

不完全から完全を見たら、完全が不完全に見える。

 

眼鏡が凹凸だったら、真っ直ぐなものでも、曲がって見える。

 

だから、不完全から完全を見ても完全に見えないのである。

 

人間から神様を見ても、絶対に神様は分からないのである。

 

いくら見ても分からない。

 

頭で考えたって分からない。

 

どうしたらいいかというと、完全になることである。

 

完全になって、不完全を見ることである。

 

そして完全から自分の、今までの不完全を見るのである。

 

そうすると、本質がすぐ分かる。

 

キリスト教で、“神の子、罪の子”とよく言う。

 

これはどういうことかというと、本当は神の子であるあるのだけれど、

 

人間はそのことを自覚しないことが罪になるということである。

 

神様のようにいかないのである。

 

簡単に言うと、自分勝手にやってしまうのである。

 

だから、全員神の子であり、罪の子であると言っていいのである。

 

人の欠点は見なくていい。

 

長所を見ることである。

 

「あなたは駄目だから、これを治せ!」というより、

 

「あなたは素晴らしいから、これを伸ばしなさい」といった方が人間頑張るのである。

 

私は素晴らしいというのは、いいことなのである。

 

「私は素晴らしい人間なのです」と自覚することが、本当は一番謙虚なのである。

 

 

「私の満月物語」

 

メディアで、人を騙して高額なお金を手に入れ、そのお金で異性と付き合っていた

 

情報を目にする。

 

今までの自分は、「なんという愚か者」という見方で、軽蔑のまなざしを向けていた。

 

この人は愛の代償に人を騙してお金を手に入れ、

 

お金と引き換えに愛を手に入れようとしている寂しい方なんだ

 

と思える自分がいる。

 

学長が言われる全ては愛の叫びであるということが見えてくる。

 

真理の世界には、業・カルマはない。

 

その人の奥にある光だけを見つめていきたい。

 

光の存在になりたい。

 

真我の実践があるのみ。

 

 

 

 

心が環境をつくる

今日も佐藤康行著「魂の開発講座」より抜粋してお伝えします。

「私は心が一度死んでしまったのである。

それで私は必死に何とかしようとして、心のドアを開いたのである。

自分の心が変化しただけなのに太陽の光が燦々と入ってくるようになったのである。

電話はどんどん鳴るし、人はたくさん訪ねてくるようになるし、

自分自身も売れっ子になり、会社はどんどん伸びていくイメージが浮かんだのである。

そして、実際にその通りになったのである。

今は自由自在である。

本を何冊も出すことが出来るようになったのである。

虚しくならないことは自分の魂を素晴らしいものにしていくことである。

魂は無限なのであるから、生涯虚しくならないのである。

もう一つは人に喜んでもらって、自分も喜ぶ、つまり調和なのである。

死ぬときに“死なないで、好きだよ”という声が聞こえるということは

どういうことかと言うと、自分がそういう心があるからなのである。

そういう愛の心があるから声が聞こえてくるのである。

自分に人を疑う心があれば聞こうにも聞けないのである。

自分にとっては心が環境になるのである。

つまり、自分の心がこれから先の環境になるのである。

そして、人の集まりは心の集まりとなり、

自分の心に合った環境がつくり上げられていくのである。

類は類を呼ぶというが、自分が良い心になれば、良い心の人が集まってくるのである。

そして、自分が素晴らしい心になるのである。

人を変えようとするのではないのである。

それは無駄な努力である。

即ち、人は自分の意志で変わることは受け入れやすいが

人に変えられるのは嫌うものなのである。

良い声を聞くには、まず、自分が良くなることである。

無心になることである。」


「私の満月物語」

ブッダが唱えられたダンマパダの50に次のような内容が載っている

「他人の過ちや、したこと、

しなかったことなど、

見る必要はない。

自分を観るべきだ。

なにをしているか、

なにをしていないのか、と。」

初めて見た時は全く分からなった。

学長に出会ってやっと意味が理解できた。

同じくダンマパダの1には心について学長が言われている同じ内容のものが載っています。

「あらゆるものの中で、先立つものは心である。

あらゆるものは、心を主とし、

心によってつくりだされる。

もしも汚れた心で話したり行ったりするならば

苦しみはその人につきまとう。

荷車を引く牛に車輪がついていくように。

もう一度自分の心に繰り返したい。

「自分の心が環境をつくる」

良い声を聴くには、まず、自分が良くなることである

無心になることである」

 

現象の奥を見る

今日もメッセージをお読み頂きありがとうございます。

今日も佐藤康行著「魂の開発講座」より抜粋してお伝えします。

大きな視野から物を見ることが大事なのである。

一番大きな視野が神様であり、宇宙そのものである。

つまり極限なのである。

範囲などないのである。

自分の中に無限の力、愛、知恵があり、私は素晴らしいのだということを自覚することである。

自分が他人の評価をし、人の欠点が見えるということは自分にも同じ欠点があるからなのである。

だから自分が素晴らしい人間であれば、人の素晴らしい所しか見えないのである。

相手の魂が分かれば、プラスに考えることが出来るようになるのである。

表に出てきていると善と悪を見るのではなく、その奥にあるものを見るのである。

病気等も注意を与えているという意味では愛なのである。

それに気づかない、耳を貸さない自分に問題があるのである。

これでもか、これでもかと言ってくれているのに耳を傾けない自分に問題があるのである。

常に教えてくれているのであるから、耳を傾ける習慣を身につけることである。

これは何を教えようとしているのかと考えることが大事なのである。

心を澄まして聞いてほしい。

そうすると全てのことに意味があることが分かるはずである。

とても感動するはずである。

生きているということがどれだけ素晴らしいことなのか実感しなければならないのである。

実感すると今の百倍でも、千倍でも素晴らしく生きることが出来るようになるのである。

もう何もしなくても幸せな気分になるのである。


「私の満月物語」


今日、ふと自分を振り返ってみて気がついたことがある。

私は学長に会う前から、原始仏教を学び、ひたすら悟りの世界にあこがれて

自分の全エネルギーをそこに傾けてきた。

今気がつくと、あれだけ憧れてきた悟りの世界を経験させてもらっている。

全てが真我であり、全てが愛であり、完璧な姿を見ている。

まだまだ見ようとする世界であるが、これが悟りの世界であることが

明白に見える世界を味わっている。

そして、真我で生きれば全ての方々の悟りの協力ができる。

カウンセラーの道はまさにその道そのもの。

気がつけば、もう何もいらない世界に住んでいた。

波動・言葉・心

今日もメッセージをお読み頂きありがとうございます。

今日も佐藤康行著「魂の開発講座」より抜粋してお伝えします。

言葉には三種類あると言われている。

一つ目は頭に訴える言葉、二つ目は心に訴える言葉、三つ目はすべて(魂)に訴える言葉である。

この三つ目を波動という。

人間が生まれ変わるときに波動が全開するのである。

波動は何かと言うと愛なのである。

波動の言葉とは愛の言葉なのである。

その言葉を振りかけられるだけで人間は生まれ変わるのである。

人間は言葉でできている。

人間は心でできている。

心が変われば言葉も変わるのである。

良い言葉が響き渡れば良い細胞に変わるのである。

魂が蘇ってくるのである。

一刻、一刻を大切にしなければいけないのである。

人間の問題点は言葉なのである。

障害になるものは恨み、辛みである。

その反対は喜びと感謝と愛である。

それが魂とカチーンと合うのである。

魂というのは神の心である。

そして、人間の心と神の心を蘇らせるのである。

それが愛なのである。

解決策がないと思っていたことには解決策があるのである。

例えば病気でも病気になってしまったならば、治す力が同じようにあるのである。

我々の心は少し間違うと全然反対の方向に行ってしまう。

心は自分のことを先に考えると自分のためにならないのである。

これは面白いのであるが、人のことを先に考えれば自分のためになるのである。

ばらばらに人間は立っているから自分のことをやれば自分のためになるのではないかと思う。

しかし、そこが人間の浅知恵なのである。

人のために一生懸命やるから結果的に自分のためになるのである。

魂は一つなのである。

宇宙の心は一つなのである。

皆繋がっているのである。

自分の中の魂に触れれば誰も憎い人はいないのである。

今まで悪い人だと思っていた人も本当はそうではなかった、

皆いい人なのだと発見することができるのである。

その人のことを恨んでいたと思い込むことが

結果的にはその人を好きになるきっかけとなるのである。

であるから、これも一つの愛の現れなのである。


「私の満月物語」

「人間は言葉でできている」

「人間は心でできている」

この二つの文章が心に留まる。

昨日、生活リズムが崩れ、体調を崩した。

何度も何度も繰り返す同じ失敗。

夜中に起きて、自分で期するものがあった。

二度と繰り返さないために強い決意を言葉に記す。

今までも何度も繰り返してきたことだが

今回は今までとは違う。

自分の目標を明記し、繰り返し読む。

学長の二つの文章が心の奥に響き渡る。

自力と他力

今日もメッセージをお読み頂きありがとうございます。

今日は佐藤康行著「魂の開発講座」より自力と他力についての後編をお伝えします。

「私自身、ステーキ屋のチェーンをやりながら、

魂の開発講座や思い方教室などをやっているのは、

この事が自分がやらざるを得ない自分の天命であると考えているからである。

難しい話を分かりやすく伝えることが私の使命であるということを痛感しているからである。

そして、他力(法則)をどのように理解していくか、このことを難しがってはいけないと思うのである。

難しがってしまったら生活化することはできないからである。

理解するのでさえ難しいのにそれを生活化することは非常に難しいことだからである。

自力というのは我々の意志の力でそちらの方に向けていくということである。

そして、向けていって自分の意志でやっていくということである。

もっと分かりやすく言うならば、我々人間に100の力があるとしても

10%、15%の力しか出さず、残りの90%、85%は遊ばして、

あの世に行ってしまうとよく言われるが、残りの90%を合わして

100の力というのは既に与えられているものなのである。

自分でつくったものではないのである。

だから、これは他力なのである。

宇宙の力、神の力なのである。

我々は自分の意志の自力の力では10%ぐらいしか出していないということなのである。

したがって、15%、20%、25%出そうとする意志の力は

自力でやっていかなければならないのである。

ここが大事な点である。

本当はこちらのほうに心を向けて、開発していくことが必要なのである。

そして、既に自分にはそれぐらいの力が備わっているということを

自覚することが大事であり、それを自力でするのである。

従って、他力は無限の力を自覚する、自力は意識して、それを出そうとする力のことを言う。

他力(宇宙の法則、神の力)は信じる、自覚するしかないのである。

即ち、そういう力があるのだということを自覚して、そして、

そちらの方向に向かって力を出していく、そのことが大事なのである。」


「私の満月物語」

学長のセミナーでいつも話されている、満月と三日月のお話。

三日月に見えてもそれは人間の認識に過ぎない。

真理真実は満月。

しかも満月さえ、人間の認識でとらえたものであり、実際は何万倍何百万倍あるかわからない。

学長が力説して下さる意味が、他力と自力の内容を読んで心に落ちてきた。

心は認めないと現れない。

とてつもない意識次元でとらえてある真理、宇宙の法則。

この真理の深さをさを自分でどのくらいの深さでとらえられるか。

黄金の雨をどのくらいの大きさで受け取ることができるかは

あなた次第で決まるのですよ。

学長の言葉の重みが少しずつ分かってきた。