精神世界の旅が終わり、真我で出発します

心は自由自在

今日もメッセージをお読み頂きありがとうございます。

昨日、学校現場での心境を少しばかり述べさせていただきました。

今日も、朝、心が少し重い状態が見られました。

以前お伝えした学長の作られた「成功とと幸福を呼ぶ言葉」何度も繰り返し聞きました。

自分の気持ちがどんどん変化してくるのが分かりました。

学校につくと悲惨な状況が待ち受けていました。

ある子は机にうつ伏したまま熟睡しています。

その子は夜寝られないことが続き、ずっと薬を飲み続けています。

一人の女の子は反抗して前で授業される先生の言われることを全く聞きません。

もう一人の男の子も切れまくって反抗的な態度で近づくことさえ許してもらえません。

私は心の中で、「嬉しい、ありがたい、真我の実践」の三つの言葉を

繰り返し言い続けていました。

嬉しい、ありがたい、という理由はここでたくさんのことが学べる、

真我の実践ができることを思っていました。

すると不思議なことに、昨日感じた、落ち込みの気持ちや、不安な心は

全く感じられません。

このくらい悲惨な状況の中で、その雰囲気に全く飲まれないで

明るい元気な心ででいられるのです。

これが、学長の言われる「心は自由自在」ということなのかと

明確に体感することができました。

普通は、人間の心は、その時の状況に影響を受け、

悲惨な状況の中では暗い気持ちに巻き込まれてしまいます。

しかし、どんな気持ちになるか、どんな心で受け止めるかは、

まわりとは一切関係ないのです。

事象そのものには何の意味もないのです。

ただその状況を人間が勝手に認識を作り上げているだけなのです。

もし、落ち込んでしまえば、その場での判断は、落ち込んだ心でしてしまいます。

もし明るい心でいればその状況判断は、落ち込みのときとは全く違ったものになるでしょう。

学長はこの事を言っておられたのだなということが明快に理解できました。

否定的な子どもの行動の中に、瞬時に指導できるチャンスも含まれています。

瞬間瞬間が勝負です。

真我の心で、何も偏見や固定的な思い込みを持たず、その時の状況で的確な判断ができれば

時間がたった時に、子どもたちとの関係性は全く違うものになっていることでしょう。

それと、もう一つ感じたことは、目の前の否定て駅な現象に注意を向けず、

指導のチャンスをひたすら考えていたり

美点発見だけに集中していると、心が辛くならないのです。

これは不思議な感覚でした。

低い波動、低いエネルギーの流れに影響を受けなくて済むのです。

学長が真我のカウンセリングはいくらやっても疲れることはない。

返ってどんどん元気になってくると言われていたことはこのことなのかなと思いました。

なぜ、今私が現場に出ていったのかという理由も見えてきました。

社会の中で真我の実践のメッセージをお伝えするためだと分かりました。

佐藤康行著「図解神のメッセージ」より抜粋します。

「人はみな天才である」

人は、美しさの基準を自ら決めてしまうところがある。

例えば盆栽は、人が思う美しさにした人工的な美であって、本来の自然の美ではない。

しかし、山から木々を見た時、それを自然の美として受け止めることはできる。

自然には、天が与えた美があるのだ。

同様に、人にも天から与えられた才能がある。

だから、人はみな天才なのだ。

しかし、人は天才と凡才を作ってしまう。

それは、自分の思う美に当てはめようとするからである。

天が与えた自然の美を美しいと受け止める心になれば、

どんな成長の仕方をしようとも、総て天才として受け止めることができるのだ。

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