精神世界の旅が終わり、真我で出発します

縦の世界、真理真実から神る

今日もメッセージをお読みいただきありがとうございます。

今日も佐藤康行著「軌跡を呼び込む『わがまますっきりノート』より抜粋してお伝えします。

以上の例のように私が先に答えや結論を言うと、

当事者たちは必ずしもそれをベストな方法としてすんなり受け入れ、

すぐに実行に移してくれるわけではありません。

実際には、ついてくることのできない場合や、

軽重の判断がかみ合わないということも往々にしてあります。

しかし、最後には先ほどの例のように一致するのです。

ではなぜ最後に一致するのかというと、私がしているのは、

その人が深いところで望んでいることに協力しているからです。

私が終始一貫しているのは、まさにこの一点にあります。

私が妥協しないのは、ここなのです。

こぼしたコーヒーの例でいえば、深いところで求めているものは「命」です。

命から見て、相手が最も望んでいることに協力しているわけです。

この自立プログラムでの私の発言は、佐藤康行の考えでも、哲学でもありません。

また、佐藤康行が指導しているわけでもありません。

当事者であるご本人の、最も深いところにある考えを応援しているだけです。

先ほど、真我から答えを出すと言いましたが、私は常に、真我という、

本当の自分、本来目覚めている世界に焦点を当てて答えを出しています。

そのほかは、眠っている夢のような世界と言ってもかまいません。

私は、目覚めている世界だけを見て、眠っている夢の世界は一切見ていないのです。

眠っていいるほうを見て話をする場合、それを「同調する」といいます。

私は、相手の夢の世界に同調するのではなく、

目覚めている世界である真実の世界だけを見て、そこから答えを出しているのです。

「私の想い」

ナスペックのQ&Aで次のような会話がある。

Q「心の開発するとは三日月を開発するのですか?」

A「心は三日月なのだと。お月さんは常に真ん丸なのだと。

この観点でいくと全く自由自在になっちゃうわけ。

心が真っ白なキャンパスなっちゃうわけ。

もっともっと自由自在にできるようになったということです」。

学長は縦の世界しか見ておられない。

真理真実だけ。

三日月は真実を見通せない。

真実はすべての人は神。すべての出来事も神の現れ。

真我から的を外さない!