精神世界の旅が終わり、真我で出発します

宇宙の完璧

今日もメッセージをお読みいただきありがとうございます。

日常生活で、予想できないことが起こってしまいます。

昨日は、ある計画が手続きの不備でできなくなるというアクシデントに見舞われました。

このような時、つい誰かに責任をかぶせようとする自分がいます。

講演会の経験からも自分の課題が浮き彫りになってきました。

昨日はあることで、また自分中心になっていることでハッと気づかされたことがありました。

学長のお話をあれだけ聞き続けているにもかかわらず、まだ自分中心から抜け出せていない。

相手のニーズ、シーズ、神シーズを発見していく。

自分ではない。

全ては相手。

これが自分の中に溶け込むまでにあとどのくらい時間を要するのか?

自分の課題が見えているせいか、キャンセルの事実にも

ありがたいと思える自分がいることに気づきます。

講演会から、身の回りに起こることがすべてリンクしていることに気づかされます。

まだわからないのかと言われている気がします。

自分の身の回りに起こることの完璧さにただ気づくだけでいい!

学長の深い言葉をもう一度かみしめるために、「神さまの鏡」より抜粋します。

「宇宙の意識は完全で完璧ですから、本来、迷いも苦しもないのです。

ですから、自分が完璧であることを理解し、自覚したとたんに、

夢から覚めるように真理が見えてきます。

これは教えではありません。

宇宙の真理です。

あなたは生まれたときから、完璧で素晴らしいのです。

宇宙の意識には、善いも悪いもありません。

正しい、間違いもありません。

全ては完全完璧です。

これは善いこと、これは悪いことと区別しているのは人間です。

これは正しく、これは正しくないと定義しているのもまた人間です。

しかし、宇宙の意識、真我は、すべてが一つであり、そこには何の矛盾もないのです。

「インドの聖者を10年以上研究していた方のブログより」

インドの沈黙の聖者と呼ばれていたラマナ・マハリシが、

ある記者にインタビューされた記事が載っていました。

『あなたは悟った人として、この世の中で今もある戦争や飢餓で苦しんでいる人や、

多くの子供たちに対して何かしてあげたいとは思わないのですか』

と質問したところラマナ・マハリシは幸せそうな微笑みを浮かべて

「この世の中はすべて完璧なのにどうして変える必要があるのか」と答えたそうです。

ラマナ・マハリシの目にはすべてが完璧な世界だったのでしょう。

私にはその意味が分かりませんでした。

ですが最近になって、完璧なこととして相手や出来事を見ることこそが大切なのだと思うようになりました。

助けてあげなくてはいけない、不完全な存在などこの世には存在していない。

これは佐藤康行さんの著書「神さまの鏡」という本を読んで、なるほどとすごく納得できたのです。

第一章にあった「宇宙の完璧」という一説に心が響いてきました。

どんな現象がやってきてもそのままで完全であることに気づく。

目の前に起こってくる出来事に抵抗するのではなく、完璧をただ受け入れるだけでいい。

ラマナ・マハリシの意識状態がそこに完璧に証明されていました。