精神世界の旅が終わり、真我で出発します

諦めない心

今日もメッセージをお読み頂きありがとうございます。
昨年度50名近い方々に学長の真我の情報を送っていました。
読み返してみて、心に響くものがありましたのでご紹介します。
長いものですが、お役に立てると幸いです。
 
昨日は、天才と凡才について学長の言葉を紹介しました。
 
今日は、自分の使命、天命は必ず実現できることについて
 
実際にあったお話をを紹介します。
 
これは、真我の実践をしておられる方がブログに載せられていたものです。
 
私はこのお話に触れた時に、思いの実現は、本人次第であることを
 
確信しました。
 
私は、今、プロカウンセラーを目指していますが、このお話からもの凄い力と勇気をもらうことができました。
 
このメッセージを読まれている方々は様々なお仕事にかかわられていると思いますが
 
このお話から、是非ご自分の人生に目標を持ち、実現する力にして頂けたらと思っています。
 
教師をされていたり、夢を与えることに関係のあるお仕事にかかわっておられる方に
 
子供たちに紹介したり、記事にしたり、相手の心に残る形でお役立ていただけると嬉しく思っています。
 
お話を紹介します。
 
 
 
 
 
『とある野球少年のお話』
少年には夢があった。
メジャーリーガーになるという夢が。
彼は黙々と練習を続ける。
夢をその手に掴むために・・・
夢のきっかけは、6歳の時に父親と行ったヤンキースタジアムでの出来事だった。
1-0でヤンキースが負けていた。
しかし、9回裏ランナー1塁、一打逆転のチャンス。
少年は興奮しながら父親に向かって、『見ていて!!次のバッターがホームランを打つよ。』
微笑む父親。そして、運命の女神も微笑んだのだ。
逆転サヨナラホームラン!!
少年は夢見心地でつぶやいた。
『ねぇ、パパ。僕もメジャーリーガーになれるかな。
ヤンキースタジアムに立てるかな。』
すると、パパは微笑みながら、
それでも力強く少年の頭をなでながら言った。
『ああ、なれるさ。最後まで諦めなければな。』
それから少年の練習の日々が始まる。
少年には障がいがあった。
初め、野球の仲間に入れてもらえなかったが、
来る日も来る日も、黙々と練習を続けた。
そんなある日、人数が足りないため、少年が試合に参加することになった。
そして、大活躍。
少年は野球チームから引っ張りだこになった。
その障がいをものともせずに。
中学を卒業した少年は、 プロを目指し、野球学校に入校。
少年は誰よりも真面目だった。
誰よりも早く練習場に行き、 誰よりも遅く練習場を出た。
守備も打撃も誰よりもうまい少年。
しかし・・・どこからも声はかからない。
アメリカはメジャーリーグを頂点とし、
AAA、AA、A、B、C、Dリーグとピラミッド型を構成している。
その一番下のDリーグにすら声のかからない少年。
腐らずにもくもくと練習する少年の姿に感動した学校の先生は、
Dリーグの監督を集め少年を見てもらう。
結果は・・・全敗だった。
どこからも声がかからなかったのだ。
卒業した少年はアマチュア選手として活躍。
しかし、夢を諦めきれず、
24歳の時ニューヨークに行きDリーグの入団テストを受けにいった。
しかしオーナーは全く相手してくれない。
そこで、彼は十ドル紙幣を取り出し、オーナーに渡してこう告げる。
「これはぼくの全財産ですがあなたに預けます。
僕に入団テストを受けさせて下さい」
「もし、ぼくがチームの役に立てそうになかったら、返さなくて結構です。」
オーナーは少年の自信と必死な態度に負けて、テストだけは受けさせることにした。
とりあえず、10ドルもうけたなと。
しかし、オーナーの予想は良い意味ではずれた。
彼のプレーは群を抜いていた。
そして、彼は合格し、1942年晴れてマイナーリーグのプロになることができた。
その後の彼の活躍をまとめておく。
1942年 打率 3割8分1厘 首位打者のタイトル獲得
1943年2Aリーグに昇格
1944年には3割3分3厘の打率と、
ホームラン5本、ホームスチール10回を含む68盗塁
輝かしい成績をあげ、MVPを獲得。
そして、1945年。
メジャーリーグのブラウンズと契約。
打席に立つ少年。
夢にまで見たメジャーリーグの打席。
第一打席。 三振。 第二打席。 三振。
第三打席。 バットが空を切り。三球三振という成績であった。
しかし、観客はピートが三振して打席を去っても、
席から立って拍手を止めなかった。
ずっと続くかと思われるくらい拍手が止まなかった。
三球三振なのにである。
なぜだろうか?それは・・・
そう、彼には右腕がなかったのだ。
片腕のメジャーリーガー、ピート・グレイ。
彼は6歳の時、
列車から転落するという事故で利き腕の右腕を失う。
野球選手になるのが夢だったピート。
絶望しかけたピートを励ますため、
ヤンキースタジアムに連れて行った父親
そして、父親の言葉を信じぬいたピート。
ピートは夢を諦めなかった。
メジャーリーガーになるという夢を諦めなかったのだ。
そして、彼はその片腕で夢を掴んだのである。
【最後にピートの言葉を書き記す。】
私の子供の頃の夢は、ヤンキースタジアムで野球をすることでした。
そして、それを叶えられたことが、
自分の人生にとって、最も素晴らしい出来事だったと思います。
自分のような、体に障がいを持つ者にとって、練習こそが全てでした。
でも、たとえ練習しても自分にやってくるチャンスはわずかなものでした。
ある時こう言われたことがあります。
「両方の腕があっても、野球をするのが難しいのに、
片腕で野球なんかできるわけがないだろう」
それでも諦めず、自分は常に夢に向かって練習したのです。
最後に好きな言葉を送ります。
A winner never quits.
勝利者は常に諦めない』
この片腕のメジャーリーガーのお話は、
私(岡田社長)がへこたれそうになった時、
諦めそうになった時にあるテレビ番組で知りました。
このメジャーリーガーのストーリーを知った時。
(五体満足な自分が何を甘えた事を言っているのだ・・・)
激しい感動にむせび泣きながら、同時に自分への激しい憤りも覚えました。
このストーリーを知ってから、再度心を入れ直し、
火の玉の如く仕事に取り組みました。
そんな思い出のあるエピソードです。
あの時の私同様、○○様に勇気と元気をお届けできたとしたら望外の喜びです。
何度読んでも感動する実話。
今も自分自身が聞いています。