精神世界の旅が終わり、真我で出発します

全ては満月

きょうもメッセージをお読み頂きありがとうございます。
今日も新聞記事より抜粋してお伝えします。
「母のふくれ頭」
「母ちゃん、今日は、ふくれ頭にしてきてね」。
授業参観の朝には、必ず母に念をおした。
逆毛を立てて結い上げたその髪型を私はふくれ頭と呼んでいた。
母は41歳で末っ子の私を産んだ。
小学校で初めての授業参観日。
若くてきれいな母親たちの中、野良仕事で肌が焼け、
老け込んだ私の母は干し芋の蒸しまんじゅうのようだった。
私はなんだか急に恥ずかしくなり、悲しくなった。
以来私は、母に見栄えがするふくれ頭にするようせがんだ。
ふくれ頭が少しだけ素敵に見せたのかも知れない。
私は41歳位になったころから、母と自分を重ね合わせるようになった。
この年で私を産んでくれたのかと、感謝の気持ちでいっぱいになった。
私も56歳になり、母がその年のときは中学2年生。
思春期に母に当たり散らしていた自分が、いまさらながら恨めしく思える。
終戦後、母は2人の子どもの手を引き、身重の身体で旧満州から引き上げてきた。
貧乏のどん底の中、日雇い労働をしながら、9人の子どもを産み育てた。
実家にある遺影の母は、美人でもなくふくれ頭もしていない。
けれども私にとってクラスで一番、すてきな母だったと胸を張る。

「私の満月物語」

今日の夕食は、チーズホンジュをつくった。
前回、前々回この料理を失敗して、つれあいと気まずくなり、
もう二度とつくらないと決めていた。
全ては満月。
ようやく満月の法則が心に落ちてきている。
今日は何の抵抗もなく気がついたらこの料理の準備をしていた。
全ては満月。
全ては完全完璧。
何が起きても何も抵抗する必要はない。
不思議と心が落ち着いている。
これが完全に自分の中に落とし込めたら、とんでもない世界に行くのだろうな。