精神世界の旅が終わり、真我で出発します

私たちの本質は何?

今日もメッセージをお読み頂きありがとうございます。

今日は佐藤康行著「たった2日であなたを神に目覚めさせてみせる」

より抜粋します。

「神には目的など存在しない」

神が人間を創造した目的などは本来ない。

目的が何かと言うのは、勝手に人間が思索しているだけで、

もともと神には目的などは存在しないのである。

水も空気もただそこに在るだけである。

ところが、私たちが目的をもってそれらを利用しているために、

どんなものに対しても目的意識を持ってしまうのだ。

しかし、それは人間がそう捉えているだけであって、

すべてのものはただそこに在るだけなのだ。

星も太陽も光も、そして地球上の生命も、ただそこに在るだけで、

神もただそこに在るだけなのである。

全ての生きとし生ける万物は、ただそこに在るだけである。

そして、総ては神の顕れだ。

神は命である。

地上には何百万種類という生命体が生息しているが、それらすべてはたった一つの命でできている。

そのたった一つの命がただ在るだけなのだ。

太陽は何かの目的で光を放っているわけではない。

ただ太陽はそこにあるだけだ。

結果として地球上のあらゆる生命体がその恩恵を受け、

命の営みを繰り返しているが、しかし、太陽はただそこにあるだけである。

太陽は生命を生かそうという目的も、生命を焼き殺そうという目的も持っていないのである。

私たち人間から見た価値観で神を捉えることはできないし、また捉えるべきではない。

私たちの価値観や目的意識は、すべて私たちが後天的に造り出したものに過ぎず、

その価値観で神を見るべきではないのである。

私たちの観念ではなく、神から見ることによってはじめて、

全ての真理を見通すことができるのである。


「私の満月物語」

真我を追求してきて、分かったようで分からない自分がいます。

この本の「究極は一つ、神の原理があるだけだ」にはこう書いてあります。

人間を神と捉えたら、戦争も闘いも病気も一切存在しない。

何も最初から起きていない。

何者も死んではいないのである。

神は最初から死んでもいないし、生まれてもいないし、何も起きていないのだ

実相とは神のことである。

真我とは神のことである。

神には戦争も病気も闘いも憎しみも恨みの何もないのである。

私たちの目には様々な出来事が移り、私たちの耳には様々な情報が入ってくるが、

それは私たちの五感で見たり聞いたりしているだけであって、神の世界にそのようなものはない。

この真実がわかれば、初めてすべての謎が解けてくるのである。

どうやら、この認識の捉え方にポイントがありそうな気がしています。