精神世界の旅が終わり、真我で出発します

時間、空間という概念

今日もメッセージをお読み頂きありがとうございます。

今日は佐藤康行著「飛神」より抜粋してお伝えします。

「時間、空間は本来存在していない」

時間という言葉には、現在、過去、未来という三つの形式が存在します。

日常、私たちは大まかに、昨日の出来事は過去、今の出来事は現在、

明日の出来事は未来というように使い分けていると思います。

しかし、それはあくまでも人間だけが認識している世界なのです。

時間という言葉にした瞬間に、過去、現在、未来という形式が誕生するものですから、

宇宙という全体から見たら時間も存在しなくなってしまうのです。

この概念から「今」という時間は声に出した瞬間、すでに過去になってしまいます。

その「今」を全く動かない瞬間としてみた時は、時間は存在しないことになります。

さらには、一秒を百分の一、一万分の一、一億分の一、一兆分の一・・・・

というように縮めていくと、もうそこには時間なくなってしまうのでしょう。

そのように捉えると、時間は存在していないことになります。

時間が存在しないということは、別の言葉で言えば未来も過去も存在せず、

ただ、絶対的な「今」のみが存在するということになります。

では本当の「今」とは何を指すのでしょうか。

それは、絶対不変な宇宙のこと、神のこと、そして真我のことを指します。

過去と未来は、私たちの肉体が存在して初めて存在するものなのです。

本当は、宇宙空間には過去も未来も存在していないのです。

空間も同様です。

例えばあなたがこの本を読んでいる部屋は、一つの空間とみなされますが、

壁を通り越したら、その空間は存在しなくなります。

また、現在私は新宿の事務所にいますが、新宿にもいる、東京にもいる、

日本にもいる、世界にもいる、そして宇宙にもいるといえるのです。

宇宙という一つの世界に存在しているにすぎません。

途中略・・・・

もし、あなたが過去の出来事に対して、大きな心の傷を背負い

今も苦しんでいるとしたら、それは今の苦しみになります。

出来事は過去であったかもしれませんが、心が今も苦しんでいるということは今の出来事なのです。

そのようなときは、時間は人間が作り出したもので本来は存在しなものであり、

幻、夢であると言い切ってみるのです。

なぜならば、それは人間が脳の中で限定した概念にすぎず、脳の中で作られたものであるからです。

心の世界で見た時には、絶対的な今が存在するだけなのです。

循環する生命を肉体として捉えた時に、初めて時間が存在することになるのです。

しかし、時間は幻であり、その幻の中に存在する自分は、幻の自分、偽我に他ならないのです。

宇宙の中の本当の自分、神なる自分を自分と捉えると、時間は存在せず、

命が滅びるということもあり得ないのです。

神の世界には時間は存在せず、永遠の命には始まりも終わりも、時間も空間もないのです。

「私の満月物語」

最近、私は偽我、認識に振り回されなくなりました。

以前は、朝起きた時に、体調が悪いと、今日は最悪だ、どうしようなんて考えていました。

認識と自分がぴったりと重なっているという感じです。

今は、認識と自分の間にすき間が存在し、認識を俯瞰して見れる自分がいます。

調子が悪くても全然平気です。

良くても悪くても、今必要とされる行動が感情に左右されず、できるようになりました。

何があっても動じない自分になりたい・・・

そして、自分に出会う方々を元気にしていきたい。