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欲望の時代の終わり・本当の自分、真我の時代

精神世界の旅が終わり、真我で出発します

仕事を通して成長できる喜び

今日もメッセージをお読み頂きありがとうございます。

生まれた初めての営業職に挑戦しています。

YSコンサルタントの営業プログラムを6月からずっと聞き続けて

今やっと仕事につなげることができました。

学長のプログラムは、全てが真我の実践なので、仕事を通じて人間的に成長できます。

プログラムのステップゼロを聞いていると、涙があふれてきます。

社会生活をする中で、意識次元をあげる挑戦ができる・・・

これが学長の素晴らしさです。

「小聖は山で悟り、大聖は町で悟る」、これが学長が20数年間取り組まれていることです。

初めての営業でどうなることかと思っていましたが、訪問先で、みんな優しく応対して下さり

感激することが度々ありました。

内容が、商品の無料キャンペーンという受け入れやすい内容も力になっています。

どんなお客さんにも愛を表現することができるように全力で取り組みたいと思います。

佐藤康行著「たった2日であなたを神に目覚めさせてみせる」より抜粋します。

「神が完全であるならば、人間はなぜ苦しむのか」

私たちが見たり感じたりするものは、全て相対的なものである。

相対がなければ、時間も空間もなく、何も認識することも感じることもできない。

しかし、神そのものには相対は存在しない。

神にとって唯一の相対は、私たちの業、すなわち人間の心だけだ。

相対があることによって、私たちは神の素晴らしさを認識することができるのであり、

もし、神だけで相対が存在しなければ、神の素晴らしささえも私たちは認識できないのである。

料理にもおいしいものとそうではないものが存在するから、美味しさを認識できるのである。

苦しいことを経験するからこそ、本当の喜びも味わえるし、

病気を経験してこそ、健康のありがたみが分かるのである。

私たちの意識は絶対ではないがゆえに、この三次元の世界の中で様々な体験をし、

様々な感覚を味わうことができるのである。

本来、業はどこにも存在していないものだが、

私たちには過去の記憶が業として残っているように感じられるのだ。

神が創ったままの記憶と、私たちが体験した記憶とが唯一相対になっているのである。

意識が神そのものになれば、もう相対はなくなり、同時に業も消えるのである。

ところが、業の中で生きている限りは、神と業の二つの記憶がいつまでも併存するのだ。