精神世界の旅が終わり、真我で出発します

相手の力を引き出す

今日もメッセージをお読み頂きありがとうございます。

現場に出てから8日間を経過しました。

自分のプロカンを磨きたい、心のレベルを確かめたいという目的でスタートしましたが、

ここにきて、もう一度、自分の心を見つめ直さないといけない。

相手をどのように見るかという、最も大事な視点が欠けていることに気づかされました。

まだまだ、私は子どもを操作しよう、教え込もうとする癖が抜けていません。

それは、3時間目の体育のときにやってきました。

行きたくないというA子とB男を体育館の前まで連れて行った時です。

私の頭には、「甘えを取り除いていかなければ、とにかく参加させないと」

そのことでいっぱいになっていました。

A子は猛烈に反発し、以前跳び箱で、頭から落ちて、恐怖心が抜けないことを

しきりに訴えていました。

それでもまだ私は、諦めることができませんでした。

どうしようもないと思って諦め、中に入って他の子どもたちの様子を見ていると

いつのまにか、若い付き添いの先生と、子どもたち二人が

いろんなことを打ち解けて話していました。

私はそれを見て、はっと我に返りました。

私は、この子たちのやる気を、素晴らしいところを引き出すためにこの学校に来ていた。

自分の思い通りに動かすのは、自分のやるべきこととは全く違う。

猛烈に反省しました。

私の心のどこかに、子どもだから、障害を抱えているのだから、

という思いがあったことに気づきました。

もう子どもという認識は捨てよう、大人として対峙していこうとはっきりと決意しました。

午後からは、女の子が委員会活動に出たくない訳を話す中で

今までいじめにあってきたことや、辛い過去の様々な出来事に

全力で向き合いました。

ほんの少しですが、A子の私を見る目が優しくなった気がしました。

ようやくスタートラインに立つことができました。

佐藤康行著「たった2日で神に目覚めさせてみせる」より抜粋します。

環境はすべて自分である。そのことを自覚できれば

それだけでもものの見方が劇的に変わる。

環境を変えるのも、自分を変えるのも同じだから、人を責めるのも、

自分を責めるのも同じなのである。

他人を責めて落ち込ませるのも、自分を責めて落ち込むことも同じなのだ。

他人に向けて矢を放ったか、自分に向けて矢を放ったかは、

関節と直接という違いだけで全く同じことなのである。

相手に矢を向けたら、相手もこちらに対してやがて矢を向けてくるだろう。

ということは、相手に矢を向けたら、相手と自分の二人に矢を向けたことになる。

自分に矢を向けた場合でも、被害者は一人ではない。

自分のまわりにいる伴侶や親、子どもたちにもその影響が及んでしまう。

あなたの肉親に矢が刺さっているのを見たら、あなたもきっと苦しむことだろう。

自分に矢を向けても、結局は人に矢を向けたことと同じになるのだ。

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