精神世界の旅が終わり、真我で出発します

真我に焦点を合わせる

今日もメッセージをお読み頂きありがとうございます。

今朝は、体がだるく心臓も重く、起きるのが不安になりました。

過去の心臓病の残像がまだ残っている気配がします。

不安や恐怖の心が無意識に働いていると思われます。

私は布団の中で大阪で習得した瞑想をしてみました。

心の中で「無い、無い、無い・・・・」を繰り返します。

すっと繰り返しているうちに、心が穏やかになって落ち着いていくのがわかってきます。

ああ、自分の中にまだ心臓への不安があるのだなとこの時に気がつきました。

私たちの認識は何かに捉われています。

不安や恐怖や、心配は、真理の世界にはありません。

瞑想では体中の細胞にこのシグナルを送り続けています。

全ての細胞は真理がわかっていますから、「無い」という言葉によって認識が変化してくるのがわかります。

実相(本当の姿)は何もありません。

在るのは「神の命」「愛の光」だけです。

私たちの認識は仮相の姿です。

読んで字のごとく仮の姿であって、本物ではありません。

偽物なのです。

ただ私たちは、この偽物に操られ、怒り、不安になり、心配になり、

感情に振り回されてしまいます。

私は、以前、このような不安定な感情に見舞われたときは、これは偽物、偽我である。

すぐに、真我ではないと心を真我のほうに向けていました。

すると、不思議なことにその不快な感情はいつの間にか消えていました。

学長は心のハンドルを切ることの大切さを教えておられます。

心は同時に二つのことは考えられないのです。

不快なほうを選ぶのか、真我の愛、感謝、喜びのほうを選ぶのか

私たちには選択の権利が与えられています。

辛い心に襲われた時、」「真我の実践、真我の実践・・・・と唱え続ける瞑想もあります。

心のクリニックに来られた方で、電車のプラットホームで飛び込む前にただひたすら

「真我の実践」の言葉を二時間余り唱え続けらた方がおられたことを聞きました。

その方も見事に緩解されたと聞きました。

学校では相変わらず、ひどい言葉を浴びせられ続けています。

今日は「くさい、寄るな、何かの腐った臭いなどひどい言葉を浴びせられましたが

今の私には全く関係ありません。

それらは無いと分かっているからです。

ただひたすらその女の子の真我に焦点を合わせ続けています。

チャンスがあると思った瞬間に、褒めたり、受け入れられそうな言葉を選びます。

相変わらず、心の中では「うれしい、楽しい、真我の実践」を唱え続けていました。

帰る時、「今日も真我の実践ができて良かったな」という喜びいっぱいの気持ちで

充実感を感じることができました。