精神世界の旅が終わり、真我で出発します

イチロー選手大記録から学ぶ

今日もメッセージをお読み頂きありがとうございます。

前回に偉大なアスリートから学ぶタイトルで黒田選手を取り上げました。

今回は、日米3000本安打達成という大記録を打ち立てた

イチロー選手を取り上げます。

新聞記事より抜粋します。

2001年、日本選手初の野手として大リーグにデビューしたイチローが、

42歳の今季、日本選手初の大リーグ通算三千安打を達成した。

米国でも「偉業」とされる記録を樹立した7日、

試合後の会見では時折声を妻らせながら、これまで、今、これからを語った。

―節目の安打は本塁打を狙ったか

「まったく狙っていない。本塁打だったらいいな、

とは思うが、そんな甘いものではない。

打球が上がった瞬間は、越えてほしいと思った」

―達成した感想は

「ずいぶん年を取ったと思うが、チームメイト、

ファンの人たちが喜んでくれた。

3千という数字よりも、僕が何かすることで、

僕以外の人たちが喜んでくれることが、

今の僕にとって、何よりも大事なことだと再認識した瞬間でした」

―今日の日に一番感謝したいのは誰か

「三千を打ってから思い出したのは、

このきっかけを作ってくれた「オリックス時代の」故仰木監督ですね。

神戸で2000年の秋、お酒の力を使って、〈大リーグへの挑戦を〉僕が口説いた。

その仰木さんの決断がなければ、何も始まらなかったと思う。

―記録目前で足踏み。

代打起用が続いた時の心境は

「人に会いたくない時間がたくさんあった。

誰にも会いたくなく、話したくなかった。

なるべく自分の感情を殺してプレーしてきたつもりだが、

うまくいかず、苦しい時間でした。

「「七月中旬の敵地」セントルイスから球場に特別な雰囲気を

ファンがつくってくれて、〈自分を〉迎えてくれるようになった。

長い間、特別な時間を僕にプレゼントしてくれた、

と考えれば、あの使われ方もよかったと今は思います」

―記録達成に近づく中、気持ちが一番揺れた瞬間は

「この国には【粋】という概念はない中、

「察する」という概念はあると感じている。

みんなが察してくれた。

一打席、二打席、三打席と「凡退で」終わった時に、誰も何も言わない。

これはうれしかった。

口にしなくても、みんな〈辛さを〉分かっている。

だから結果を出したいという気持ちが強くなった。

(記録を達成して)みんなの顔を見た時、すごく安心しました。

―これまでの記録などと比べ、違うことは

「代打じゃないですか、代打で結果が出ないのはダメージが大きいですよ。

僕も切ったら緑の血ではなく、赤い血が流れますから。

感情もありますし、しんどいですよ」

毎日先発で5打席立つのと、代打で一打席とは、

10日間で結果が出ないのは、全く意味が違う。

普段とは違う精神状態に自分で追い込んだ中で、

結果を出すことが難しいことはわかっていた。

―放った安打には様々な意味が込められている

「ただバットを振って、三千「安打」は、おそらく無理。

それなりに長い時間、数字を残そうと思えば、脳みそを使わないといけない。

使いすぎて疲れたり、考えていない人に

あっさりとやられたりすることもたくさんあるけど。

それなりに自分に説明ができるプレーをしたいのが、僕の根底にある。

それを見ている人に感じて頂けるなら、とても幸せですね」

―大リーグに来て16年目。変えなかったことは

「感情を殺すことです。途中、ヒットをがむしゃらに

打とうとすることは、いけないのかと混乱した時期があった。

そのことを思うと、今日、いい結果を出そうとすることが、

みんなも当たり前のように受け入れてくれている。

こんなことを特別に感じることはおかしいかもしれないが、

僕は特別に感じました。

―三千安打の達成感をどう消化して、次に進むのか

「達成感を感じてしまうと前に進めないのでしょうか。

そこが僕には疑問。達成感や満足感を、僕は味わえば味わうほど、前に進めると思う。

小さなことでも満足することは、すごく大事なこと。

それを味わうと次へのやる気が生まれてくると、僕は経験上信じている。

これからもそうありたいと思う。

偉大なアスリートから学ぶことは限りなくあります。

私が心に残ったのは、イチロー選手は自分の記録よりも

周りの人の気持ち、思いに応えることを一番にしていることです。

「記録を達成してみんなの顔を見た時、すごく安心しました」

これがこの大記録を達成したときに一番に出てくる思いとは・・・・


学長は人生における苦しみは辛いことだけど

意識次元をあげるためにはとても大切な経験であるといわれます。

イチロー選手の苦しみは我々の認識を超えています。

「ヒットをがむしゃらに打とうとすることは、いけないのかと混乱した時期があった」

想像を絶する言葉です。。