精神世界の旅が終わり、真我で出発します

心を込めて

今日もメッセージをお読み頂きありがとうございます。

新聞記事より抜粋してお伝えします。

ふらりと立ち寄った、あるラーメン店。

こだわりのスープが売り物とか。

まだ若い店主の元気な声が響く。

ラーメンを注文した客の携帯電話が鳴った。

込み入った内容らしい。

客は話しながら店の外へ。

出来上がったラーメンが席に置かれた。

客はなかなか戻ってこない。

しばらくして席に着いた客がラーメンに手を伸ばそうとした。

その時、店主はさっとラーメンの器を引いて、湯気の立つ作り立てに取り換えた。

驚く客に「お客さんに、冷めたラーメンは食べさせられませんから」。

「二杯分の料金を」との申し出を固辞した店主。

そのTシャツのせなかに書かれた文字に目が留まった。

「一杯入魂」。

野球の「一球入魂」のもじりだろうか。

なるほど。

この店のラーメンがうまい理由が分かった。

仕事帰りに乗った、ある路線バス。

停留所に留まるたび、運転手が車内アナウンスを繰り返す。

「週末の金曜日です、1週間、お疲れ様でした」

バスを降りるお年寄りには「寒いですから気をつけて」

「自転車にご注意ください」

あえて言えば「一停入魂」か。

学生たちが「ありがとうございました」と笑顔で降りていった。

外の風は冷たいが、車内はなんだかポカポカと。

ラーメン店主とバス運転手。

仕事は違っても、心を込めて最良のサービスを提供しようというプロ意識には通じるものが。

料金はいつもと同じなのに、すごく得をした気分にしてくれた。

西日本新聞、春秋より」

今日も介護施設で傾聴ボランティアをした。

ここは情熱を傾ける青年が所長をして頑張っている。

私の本気度を見抜かれるようで怖い。

彼が自分の父親の要件で早めに帰ろうとすると、入所者の方が泣かれていた。

やはり彼は本物だと強くひかれた。

心を込めて触れ合えば、必ず通じるものがある。

92歳のおばあちゃんと長くお話をした。

話の途中で何度も「死にたい」と繰り返される。

何とか話題を若い時の誇りのある仕事に向けてみる。

その時は別人のように生き生きとされて話をされる。

帰ろうとすると、あの青年のときのように涙を流された。

ごめんなさい。

必ずまたお話に参ります。

お陰様です。ありがとうございます。

今日もメッセージをお読み頂きありがとうございます。

昨日、福岡の真我の会、チーム達人笑顔の会がありました。

今年最初のスタートの会が、とても内容の濃い、充実したものになりました。

私は笑顔の会の今年のテーマを

「お陰様です。ありがとうございます」にしてほしいと提案しました。

学長は、以前のセミナーで、人間という偉大なるスーパーコンピューターを

ボタン一つで扱えるようになればいいお話をされていました。

宇宙の真理を理解し、真我で生きるためにはどのようにすればいいのか?

その生き方ができるスイッチを見つける。

学長が提起されている満月の法則を使いながら

自分の身の回りに起こる様々な出来事をすべて「お陰様です、ありがとうございます」

で受け取る。

笑顔の会で、共通理解のもと、みんなで実践して、

その過程で起きる出来事を共有していきたいと思っています。

笑顔の会は実践研究の場だと捉えていきます。

YSの講座や真我の会に出ておられた方が、足が遠のくケースがよく見られます。

自分のニーズが満たされなかったり、変化が捉えられないことで、

関心が薄れていくのではという気がしています。

東大の野球部監督の浜田一志さんの新聞投稿で次のような記事がありました。

「サラリーマンを6年やり、そのあと学習塾を開業しました。

2年目からうまくいかなくなり、教える手順を工夫しました。

本当は本質を教えたいのだけど、まずは自転車に乗れるようにして、

なぜ自転車が動くのかはあとで教えようと思ったのですね。

解き方をパターン化して教えると、できるようになります。

解けるようになったら、あとで教えても、聞く耳を持つようになるのです」。

真我の追求を始めて、自分の変化をはっきりと感じられた方は、真我に確信を持たれるでしょう。

その後の追求にも力が入るようになると思います。

そのあとに、「なぜ変化が起きるようになるのか、宇宙の真理はどのようなものか」

など分かるようにしていけばいい。

お陰様です。ありがとうございます。

何が起きてもここから外れない。

本当の感謝をすると宇宙と一体になる。

この1年間、笑顔の会は必ず結果を出せる会に進化していきます。

学長から1ミリも離れません。

 

 

幸せを決めるもの

今日もメッセージをお読み頂きありがとうございます。

今、広島の満月の園にいます。

今からKABUTOさんによるミュージックRIVEが行われる予定です。

ここで手にして読んでいた本「うつ病は90日で90%が治る」で

衝撃的な内容を目にしたので、紹介させて頂きます。

イギリスの心理学者リチャード・グレゴリーとジャン・ウォレスが

「幼年期の盲目からの回復」という報告書の中で語っている、興味深い事柄があります。

生まれて生後10ヵ月で失明した男性が、52歳の時に角膜移植で視力を回復しました。

視力が回復するということは喜ばしいことであり、

この男性にとっても明るい未来が待っているだろうと皆は予想しました。

しかし、なんと、この男性は、視力が回復してからは、

自信を失い不機嫌な日が続いて、とうとう鬱になってしまったのです。

この男性は、盲目でありながらもそのハンディを楽しむかのように、

職を持ち、自転車にも乗って、目が見えなくてもそれらができることに自信と誇りを持っていたのです。

それが、目が見えるようになった途端に、それらは、目の見える人には当たり前のことであり、

今まで自分がやってきたことへの自信を喪失していったというのです。

「彼の物語はある意味で悲劇的だ。

彼は非常に大きなハンディを負っていたが、元気に明るく暮らしていた。

そのハンディが奇跡的に取り除かれたかに見えた時

彼は安らぎと自尊心を失った」と研究者の二人は言っています。

このエピソードは、まさに自分の内に、「幸せ」があることを物語っていると言えるでしょう。

盲目であっても、男性は幸せだったのです。

目が見えるようになったら幸せ、というのは、人の価値観でしかないわけです。

目が見えても見えなくても、「幸せ」になることは、今、この瞬間からできるのです。

何のために病気を治そうとするのかというと、

健康で快適な素晴らしい人生を送るためではありませんか?

だったらそれは、いつになったらそうなるのでしょうか。

治ったらなるのでしょうか。

では、治らなかったら、死ぬまで素晴らしい人生は送れないのでしょうか。

そうではありません。

今この瞬間から、快適で素晴らしい人生は送れるのです。

人間の心は、もっと便利です。

どんな状態でも、今この瞬間から幸せになることができます。

どんな状態でも、今この瞬間から幸せになって、喜びいっぱいになれるのです。

人間は、それを知っています。

これが答えを知っているということです。

 

悲しみの向こうに

今日もメッセージをお読み頂きありがとうございます。

新聞記事より抜粋してお伝えします。

「あかね色の空」

彼女は物心ついたときから横にいて、幼稚園、小、中、高校を一緒に通った。

いつも2人でヘラヘラ笑って過ごした。

高校を卒業して離れるまでは、いつの思い出にも彼女ばかり。

のんびり屋で、人と動物が好きで頭が良くて、

冷静で強くて思いやりにあふれ、とても温かった。

大学に入ってからは、たまにしか会えなくなった。

でも、誕生日のプレゼントは欠かさず贈ってくれた。

家中いたるところに、彼女からもらったものがある。

お互い母になり「子育てが落ち着いたら旅行しようね」

というやり取りがあいさつ代わりになっていた。

絶対行けると思っていた。

プレゼントもずっと、もらえると期待していたのに。

何を贈れば喜ぶか、考える楽しみも奪われた。

まだまだ話したいことがたくさんあった。

お通夜に向かう車窓から見上げたあかね空は、悲しいほどきれいだった。

まさか、最後のプレゼントになるとは思いもしなかった、40歳の誕生日の贈りもの。

添えられたメッセージ「なかなか会えないけど、心はいつもそばにいるよ」が、深く、胸に刻まれている。

温かな心のあかねちゃんは、ずっと、ここにいる。

(主婦・40才)


「私の想い」

介護施設に傾聴ボランティアに行ってきた。

92歳のおばあちゃんは、にこにこしておられ、「私は何も心配することはないです。

本当に幸せです」と言っておられた。

最初の頃は子どもが東京から見舞いに来てくれるお話や、孫が海外から来てくれるお話で

本当に幸せそのものの感じだった。

途中からお嬢さんのお話になり、娘が69歳で亡くなったことを話し始められた。。

私が殺したんです・・・と泣かれ始めた。

「娘が倒れた時に何も考えられなくて救急車も呼べなかった・・・」と。

60分後に救急車が来たときはもう手遅れだったと・・・

どんなに幸せそうに見られる方でも、必ず心に一つや二つ、悲しみを抱えておられる・・・

Nさんがお嬢さんを深く愛しておられたから動転されたのですよ。

お嬢さんも分かっていらっしゃいますよ。

きっと天国でNさんの幸せな生活を喜んでおられます・・・

話が終わると何度も何度もお礼を言われ、涙を流されている。

悲しい話をさせてしまったという後悔と、話す相手が必要だったのではという気持ちが

交錯しながら施設を後にした。

外に出て何度も何度も手を振られるNさんの姿が印象的だった。

 

笑顔の力

今日もメッセージをお読み頂きありがとうございます。

新聞記事より抜粋してお伝えします。

「苦しい時こそ、笑顔」

一朝一夕の取材では、描き出せない映像や音声がある。

16日にNHKで放送された「田部井淳子 人生のしまい方」もそんなドキュメンタリーだった。

女性として初めてエベレストの登頂を果たした登山家の田部井さんが

昨秋77歳で亡くなるまでの5年を、フリーのディレクターが撮っていた。

がんの再発、抗がん剤の投与、手術、そして再発・・・・

長く秘されてきた闘病の姿を、手術室や自宅の居間にまで入って記録する。

その映像がどんなに壮絶かと視聴をためらっていたが、想像は裏切られた。

多くのシーンで田部井さんは笑っていた。

世界中の山に登り続けた。

そして、周囲の人を励まし続けた。

福島出身の田部井さんが震災後に精力を傾けたのが東北の高校生の富士登山

復興を担う若者を応援したいと震災翌年から始まった。

大雨で登頂が危ぶまれた時、高校生に向けて田部井さんが語りかけるシーンが印象的だった。

「楽しみましょうね。苦しい時こそ明るく!」

きっと田部井さんも苦しかった。

だからこそ、笑っていたのだ。

100時間超の記録を残した川崎彰子ディレクター(42)は

「淳子さんといるといつも周囲が笑顔になった。元気が出た」。

遺志を継いだ富士登山は多くの人の寄付と協力を得て今後も開催される。


「私の想い」

中村天風の言葉に次のようなものがある。

「笑っているとき、人間は最も強い」


歌手の宇多田ヒカル

「ユーモアって、どうにもできない状況に対して唯一出来ること」

という言葉をテレビ番組で語っている。

 

 

 

この顔に生まれて

今日もメッセージをお読み頂きありがとうございます。

新聞記事より抜粋してお伝えします。

「この顔に生まれ生き抜いてきてよかった」

先天性の病のため顔にあざがあり、いじめや就職活動で困難にぶつかってきた女性が、

同じような悩みを持つ人たちの会をつくった。

そっと支えてくれる人たちの後押しを受け、活動は今年で10年を迎えた。

いま、この顔に生まれ、生きてきてよかったと思う。

「窓から落とされた」

和歌山県有田市の氏家志穂さん(30)。

生まれつき顔の右半分に赤っぽいあざがある。

スタージ・ウェーバー症候群という難病だ。

合併症で右目の視力が下がり続け、今ではほぼ見えなくなった。

幼いころは元気で明るい少女だった。

中学校に入り、壮絶ないじめを受けた。

同級生らが「気持ち悪い」「こわい」と避け始めた。

教科書への落書きに始まった暴力はエスカレートし、校舎2階の窓から突き落とされた。

学校側の聞き取りに、突き落とした生徒たちは関与を否定。

一方、内気だった氏家さんは、口ごもった。

「お前の言っとることは、信用できん」。

教師に疑われたことに深く傷つき、2年生の半ばから不登校になった。

中3のとき、担任の紹介で不登校の若者らを支援している

「麦の郷 紀の川生活支援センター」(和歌山県紀の川市)を訪ねた。

「なんて冷たい目をしているんだろうと思った」。

担当の藤本綾子さん(59)は振り返る。


「線路に飛び込んだ」

大人への不振で、心を閉ざしたままだった氏家さん。

「もう生きていても仕方がない」。

意を決して線路に飛び込んだが、直前で電車は急停止した。

自分の存在を消したい一心で、行く当てもなく電車に飛び乗った。

気づけば京都。

電車を降り、駅前をふらふら歩いていると、

夜の街でたむろしていた暴走族の女性メンバーに声をかけられた。

「あんた、どこから来たん?」

オートバイの後部座席に乗せてもらい、エンジン音を響かせ、風を切って走った。

何もかも忘れられた。

だれも顔のあざを話題にしなかった。

暴走が、許されることではないとは分かっていた。

でも、彼らと共に過ごしたいと思った。

「それぞれが違う苦しみを抱えていた。

言葉を交わさなくても分かり合える仲間が、初めて見つかった」


「支え合える仲間やっとみつけた」

仲間を得たことで積極性が生まれ、定時制高校に進学。

5年かけて卒業したが、今度は就職活動でつまずいた。

「その顔では雇えない」。

面接で直接言われたこともある。

30社以上受け、全て不採用だった。

落ち込んだ。

同時に、あざなどがあるほかの人たちは、

日々どんな悩みを抱えて生きているんだろうと疑問が湧いてきた。

「会って話をしてみたい。支え合いたい」

そんな思いに突き動かされ、藤本さんや知人に相談した。

2007年に「痣と共に生きる会 フクローバー」を設立。

好きな鳥であるフクロウと、幸運を示す四つ葉のクローバーから名前をつけた。

気の向いた人がその都度集まって意見を交わす。

人数は流動的で、社会的な地位も考えもばらばらだ。

関西を中心に、千葉県などからも集う。

「外見に悩みを抱える人がもっと明るく、堂々と生きられる社会にしたい」。

会報や講演で訴え、活動は今年で10年を迎えた。


「ママ、かわいい」

この間に結婚と出産とを経験した。

夫で整体師の長谷川好和さん(40)は視覚に障害がある。

出会ったころ、あざのおかげで顔が認識でき、好意を持ったという。

今は全盲となったが「あざがあるからこそ、お前と結婚したんや」と話す。

7歳と2歳の男の子は、小さな手でペタペタあざを触り、「ママかわいい」とキスしてくれる。

偏見や好奇の目。

世間の風はなお冷たい。

でも近ごろ、こう思えるようになってきた。

「この顔に生まれ、生き抜いてきて本当によかった」。

顔を上げ、前を向いて歩いていく。

(白木硺歩)

一年を振り返る

今日もメッセージをお読み頂きありがとうございます。

今年もあとわずかになりました。

1年を振り返ってみようと思います。

昨年度、今年の目標を二つ立てました。

一つ目は経済的に安定する。

二つ目は実践する。

一つ目は運が巡ってくることで達成。

二つ目は自分の描いた内容とは少し違います。

自分の描いたものは、実際のカウンセリングや、企業の未然防止の講師です。

今年に限っては実践まで行きませんでした。

今年できたことは、東京のセミナー、講演会、PIA講師の受講など自分の資質を上げていくための行動でした。

これも実践と考えれば、ひとまず達成できたとも考えられます。

この一年で様々な素晴らしい方との出会いがありました。

出会いによって化学反応が起こります。

人との縁がいかに大切であるかを経験できたことは大きな収穫です。

もう一つは、東京から帰ってからの行事が続くことが多々ありましたが

全てやり遂げることができました。

体力に自信のなかった私にとって大きな力になりました。

自分を生かす環境は、決められた枠の中ではなく

自由に実践できる環境が必要であることにも気づくことができました。

集中力も身につきました。

あと「楽しむ」ことを第一にすることも気づきました。

これはとんでもないくらい自分にとって重要な気づきになりそうな予感がします。

真我は、喜びなので、~べきの世界とは別次元の世界だと思います。

新聞で見つけた「小さな習慣」という本も自分が生まれ変わる可能性を感じています。

「満月の法則」で出会う人全ての方々に感謝の思いを伝えることができる。

来年が楽しみでたまりません。

こんな年末を迎えられるのは今までの人生で初めてのこと!

学長が言われる、「未来を先取りすること」とはどういうことかちょっとだけ垣間見ることができました。

今年、私に出会って下さった全てのみなさん、本当にありがとうございました。

この出会いを、来年、最高の形で実らせることでご恩返しさせて頂きます。