精神世界の旅が終わり、真我で出発します

悲しみの向こうに

今日もメッセージをお読み頂きありがとうございます。

新聞記事より抜粋してお伝えします。

「あかね色の空」

彼女は物心ついたときから横にいて、幼稚園、小、中、高校を一緒に通った。

いつも2人でヘラヘラ笑って過ごした。

高校を卒業して離れるまでは、いつの思い出にも彼女ばかり。

のんびり屋で、人と動物が好きで頭が良くて、

冷静で強くて思いやりにあふれ、とても温かった。

大学に入ってからは、たまにしか会えなくなった。

でも、誕生日のプレゼントは欠かさず贈ってくれた。

家中いたるところに、彼女からもらったものがある。

お互い母になり「子育てが落ち着いたら旅行しようね」

というやり取りがあいさつ代わりになっていた。

絶対行けると思っていた。

プレゼントもずっと、もらえると期待していたのに。

何を贈れば喜ぶか、考える楽しみも奪われた。

まだまだ話したいことがたくさんあった。

お通夜に向かう車窓から見上げたあかね空は、悲しいほどきれいだった。

まさか、最後のプレゼントになるとは思いもしなかった、40歳の誕生日の贈りもの。

添えられたメッセージ「なかなか会えないけど、心はいつもそばにいるよ」が、深く、胸に刻まれている。

温かな心のあかねちゃんは、ずっと、ここにいる。

(主婦・40才)


「私の想い」

介護施設に傾聴ボランティアに行ってきた。

92歳のおばあちゃんは、にこにこしておられ、「私は何も心配することはないです。

本当に幸せです」と言っておられた。

最初の頃は子どもが東京から見舞いに来てくれるお話や、孫が海外から来てくれるお話で

本当に幸せそのものの感じだった。

途中からお嬢さんのお話になり、娘が69歳で亡くなったことを話し始められた。。

私が殺したんです・・・と泣かれ始めた。

「娘が倒れた時に何も考えられなくて救急車も呼べなかった・・・」と。

60分後に救急車が来たときはもう手遅れだったと・・・

どんなに幸せそうに見られる方でも、必ず心に一つや二つ、悲しみを抱えておられる・・・

Nさんがお嬢さんを深く愛しておられたから動転されたのですよ。

お嬢さんも分かっていらっしゃいますよ。

きっと天国でNさんの幸せな生活を喜んでおられます・・・

話が終わると何度も何度もお礼を言われ、涙を流されている。

悲しい話をさせてしまったという後悔と、話す相手が必要だったのではという気持ちが

交錯しながら施設を後にした。

外に出て何度も何度も手を振られるNさんの姿が印象的だった。

 

笑顔の力

今日もメッセージをお読み頂きありがとうございます。

新聞記事より抜粋してお伝えします。

「苦しい時こそ、笑顔」

一朝一夕の取材では、描き出せない映像や音声がある。

16日にNHKで放送された「田部井淳子 人生のしまい方」もそんなドキュメンタリーだった。

女性として初めてエベレストの登頂を果たした登山家の田部井さんが

昨秋77歳で亡くなるまでの5年を、フリーのディレクターが撮っていた。

がんの再発、抗がん剤の投与、手術、そして再発・・・・

長く秘されてきた闘病の姿を、手術室や自宅の居間にまで入って記録する。

その映像がどんなに壮絶かと視聴をためらっていたが、想像は裏切られた。

多くのシーンで田部井さんは笑っていた。

世界中の山に登り続けた。

そして、周囲の人を励まし続けた。

福島出身の田部井さんが震災後に精力を傾けたのが東北の高校生の富士登山

復興を担う若者を応援したいと震災翌年から始まった。

大雨で登頂が危ぶまれた時、高校生に向けて田部井さんが語りかけるシーンが印象的だった。

「楽しみましょうね。苦しい時こそ明るく!」

きっと田部井さんも苦しかった。

だからこそ、笑っていたのだ。

100時間超の記録を残した川崎彰子ディレクター(42)は

「淳子さんといるといつも周囲が笑顔になった。元気が出た」。

遺志を継いだ富士登山は多くの人の寄付と協力を得て今後も開催される。


「私の想い」

中村天風の言葉に次のようなものがある。

「笑っているとき、人間は最も強い」


歌手の宇多田ヒカル

「ユーモアって、どうにもできない状況に対して唯一出来ること」

という言葉をテレビ番組で語っている。

 

 

 

この顔に生まれて

今日もメッセージをお読み頂きありがとうございます。

新聞記事より抜粋してお伝えします。

「この顔に生まれ生き抜いてきてよかった」

先天性の病のため顔にあざがあり、いじめや就職活動で困難にぶつかってきた女性が、

同じような悩みを持つ人たちの会をつくった。

そっと支えてくれる人たちの後押しを受け、活動は今年で10年を迎えた。

いま、この顔に生まれ、生きてきてよかったと思う。

「窓から落とされた」

和歌山県有田市の氏家志穂さん(30)。

生まれつき顔の右半分に赤っぽいあざがある。

スタージ・ウェーバー症候群という難病だ。

合併症で右目の視力が下がり続け、今ではほぼ見えなくなった。

幼いころは元気で明るい少女だった。

中学校に入り、壮絶ないじめを受けた。

同級生らが「気持ち悪い」「こわい」と避け始めた。

教科書への落書きに始まった暴力はエスカレートし、校舎2階の窓から突き落とされた。

学校側の聞き取りに、突き落とした生徒たちは関与を否定。

一方、内気だった氏家さんは、口ごもった。

「お前の言っとることは、信用できん」。

教師に疑われたことに深く傷つき、2年生の半ばから不登校になった。

中3のとき、担任の紹介で不登校の若者らを支援している

「麦の郷 紀の川生活支援センター」(和歌山県紀の川市)を訪ねた。

「なんて冷たい目をしているんだろうと思った」。

担当の藤本綾子さん(59)は振り返る。


「線路に飛び込んだ」

大人への不振で、心を閉ざしたままだった氏家さん。

「もう生きていても仕方がない」。

意を決して線路に飛び込んだが、直前で電車は急停止した。

自分の存在を消したい一心で、行く当てもなく電車に飛び乗った。

気づけば京都。

電車を降り、駅前をふらふら歩いていると、

夜の街でたむろしていた暴走族の女性メンバーに声をかけられた。

「あんた、どこから来たん?」

オートバイの後部座席に乗せてもらい、エンジン音を響かせ、風を切って走った。

何もかも忘れられた。

だれも顔のあざを話題にしなかった。

暴走が、許されることではないとは分かっていた。

でも、彼らと共に過ごしたいと思った。

「それぞれが違う苦しみを抱えていた。

言葉を交わさなくても分かり合える仲間が、初めて見つかった」


「支え合える仲間やっとみつけた」

仲間を得たことで積極性が生まれ、定時制高校に進学。

5年かけて卒業したが、今度は就職活動でつまずいた。

「その顔では雇えない」。

面接で直接言われたこともある。

30社以上受け、全て不採用だった。

落ち込んだ。

同時に、あざなどがあるほかの人たちは、

日々どんな悩みを抱えて生きているんだろうと疑問が湧いてきた。

「会って話をしてみたい。支え合いたい」

そんな思いに突き動かされ、藤本さんや知人に相談した。

2007年に「痣と共に生きる会 フクローバー」を設立。

好きな鳥であるフクロウと、幸運を示す四つ葉のクローバーから名前をつけた。

気の向いた人がその都度集まって意見を交わす。

人数は流動的で、社会的な地位も考えもばらばらだ。

関西を中心に、千葉県などからも集う。

「外見に悩みを抱える人がもっと明るく、堂々と生きられる社会にしたい」。

会報や講演で訴え、活動は今年で10年を迎えた。


「ママ、かわいい」

この間に結婚と出産とを経験した。

夫で整体師の長谷川好和さん(40)は視覚に障害がある。

出会ったころ、あざのおかげで顔が認識でき、好意を持ったという。

今は全盲となったが「あざがあるからこそ、お前と結婚したんや」と話す。

7歳と2歳の男の子は、小さな手でペタペタあざを触り、「ママかわいい」とキスしてくれる。

偏見や好奇の目。

世間の風はなお冷たい。

でも近ごろ、こう思えるようになってきた。

「この顔に生まれ、生き抜いてきて本当によかった」。

顔を上げ、前を向いて歩いていく。

(白木硺歩)

一年を振り返る

今日もメッセージをお読み頂きありがとうございます。

今年もあとわずかになりました。

1年を振り返ってみようと思います。

昨年度、今年の目標を二つ立てました。

一つ目は経済的に安定する。

二つ目は実践する。

一つ目は運が巡ってくることで達成。

二つ目は自分の描いた内容とは少し違います。

自分の描いたものは、実際のカウンセリングや、企業の未然防止の講師です。

今年に限っては実践まで行きませんでした。

今年できたことは、東京のセミナー、講演会、PIA講師の受講など自分の資質を上げていくための行動でした。

これも実践と考えれば、ひとまず達成できたとも考えられます。

この一年で様々な素晴らしい方との出会いがありました。

出会いによって化学反応が起こります。

人との縁がいかに大切であるかを経験できたことは大きな収穫です。

もう一つは、東京から帰ってからの行事が続くことが多々ありましたが

全てやり遂げることができました。

体力に自信のなかった私にとって大きな力になりました。

自分を生かす環境は、決められた枠の中ではなく

自由に実践できる環境が必要であることにも気づくことができました。

集中力も身につきました。

あと「楽しむ」ことを第一にすることも気づきました。

これはとんでもないくらい自分にとって重要な気づきになりそうな予感がします。

真我は、喜びなので、~べきの世界とは別次元の世界だと思います。

新聞で見つけた「小さな習慣」という本も自分が生まれ変わる可能性を感じています。

「満月の法則」で出会う人全ての方々に感謝の思いを伝えることができる。

来年が楽しみでたまりません。

こんな年末を迎えられるのは今までの人生で初めてのこと!

学長が言われる、「未来を先取りすること」とはどういうことかちょっとだけ垣間見ることができました。

今年、私に出会って下さった全てのみなさん、本当にありがとうございました。

この出会いを、来年、最高の形で実らせることでご恩返しさせて頂きます。

イブの日に

今日もメッセージをお読み頂きありがとうございます。

24日のクリスマスイブの日に教え子である0君に会いに行きました。

彼は小学校の教師をしていましたが、20代の終わりごろ多発性硬化症を発症し

今、寝たきりの生活を送っています。

彼は5冊目の詩集を書き上げました。

彼の詩を読むと心が洗われます。

彼の承諾を得て紹介させて頂きます。

「遠い一日」

明日になれば逢える

長くて短い夜を過ごす

こんな日々を何日過ごすのだろうか。


『「光」と「闇」』

一面だけでなく、様々な顔を持つ自分

本当の自分はどこ?

スポーツが好き、絵を描くことが好き

でも誰かに見せるわけではなく

目立ちたくもない

でも、挑戦し続けたい  自分自身に

それが自分自身の姿だから

いつまでも、いつまでも

良いところを見ていてほしいから。

 

「野の花」

名もない花々

多くはは知らずに枯れ落ちる

でも、一輪一輪が美しい花を咲かせる。

 

「無情」

世の中は無慈悲。何一つ救われない

一つのことさえ救えない

どうしようもない

無情だな・・・


「時の流れ」


いつも気付かない

でも、確実に足を進めている

時は一秒たりとも待ってはくれない

ある意味、冷たいもの


「とりあえず、さようなら」

いつまでも愛しています

だからさようなら・・・

あなたを心から愛しているから。

 


彼に「無情」の詩の意味を聞いてみました。

自分が常に人の助けを得ないと生きていけないことをそのように思っているようでした。

「確かに助けが必要だけど、そのことでいろいろな素敵な人に会えるよね」

私の言葉に彼は穏やかにうなづきながら微笑みました。

彼の力になりたい・・・・

 

O君は花の写真を撮る趣味を持っています。

この詩集のそれぞれの詩には彼の撮った美しい写真が添えらえています。

彼の作品がギャラリーに飾られていたので、見に行きました。

彼の作品を写真に収めて、他の作品も一緒に鑑賞しました。

私という存在が少しでも彼の癒しになってくれることを祈りながら・・・

 

人間って素晴らしい

今日もメッセージをお読み頂きありがとうございます。

一昨日、介護施設を訪問して、利用されている年配の方とお話をしてきました。

ここには認知症の方々も多くいらっしゃいます。

スタッフの方が、私に1人のご年配の方を紹介して下さいました。

その方は目を不自由にされておられ、はっきりとは見えない中で、私に顔を向けて下さいました。

私が手を取って語りかけると、突然、涙を流され、泣き始められました。

「男の人は優しい」と何度も言葉を繰り返されました。

いろいろとお話を聞く中で、家族との関係で辛い状況を抱えておられました。

ひたすらお話を聞きました。

絵馬を飾り付ける作業が始まりました。

自分の言葉を書いて、千代紙などで飾り付けをされています。

机を回りながら、それぞれの方の作品や字の美しさなど美点発見をしながらお話して回りました。

どの方も目を輝かせて聞いておられる姿を見て感動しました。

今までは、年配の方を見ると、体の老いに目が向いてしまうことが多く

自分のテンションが下がることや、

気の毒だなという思いが湧きあがっていましたが

この時は、「本当に可愛い方ばかりだな」という思いで満たされ、

愛おしい気持ちでいっぱいになりました。

自分の仕事が明確になった一日になりました。

私は、本当に人間が好きです。

真我に出会うことができたおかげです。

すべての方々に感謝いたします。

心を聞き取る

今日もメッセージをお読み頂きありがとうございます。

新聞記事より抜粋してお伝えします。

「懐かしい母の声」

去年の同窓会は、1人で参加していた母だが、今年は私と義妹が同行した。

少し前から認知症を発症してしまったのだ。

母のお友達が「サポートするからぜひ」と誘って下さった。

母は元々話し好きで毎年欠かすことのなかった同窓会なので、

良い刺激になるかもと思い、参加させて頂いた。

久しぶりの大勢の人の中、困り顔で少し離れた私たちをチラチラ見ていた母も、

90歳で参加されていた恩師にパワーをもらったようで、

何とか楽しい時間を過ごすことができ、笑顔で会場を後にした。

翌日、私は久しぶりのお日様に背中をおされ、カーテンを洗濯した。

ついでにガラスを拭こうと思った瞬間、「新聞紙を使って拭いてごらん。綺麗になるから」。

若いころの母の声がした気がした。

子どもの頃、一緒に家のガラス吹きをした時の懐かしい声。

色んなことを教えてくれた母。

今ではほんの少し前のことを何度も真剣な顔で尋ねてくる母。

急に涙がこぼれ落ちた。

涙で一気にぼやけたガラスを力を込めて拭いた。

「お母さんは今を生きている」と自分に言い聞かせながら。

福岡市  女性(51歳)


たとえ認知症になっても、魂と魂の会話はできる。

何度同じことを聞かれても丁寧に答えてあげたい。

カウンセラーを目指している自分はこんなことを考えている。

しかし、実際の介護現場で働いておられる方々は、言葉にならない苦労があるはずだ。

今、介護現場での傾聴ボランティアの申請をしている。

とにかくカウンセラーとしての経験を積みたい。

来年の2月には初孫が生まれる。

初産で、息子夫婦にいろんなストレスがかかることも予想できる。

自分のしていることが家族の力になれると思うと大きな喜びと勇気が湧いてくる。