満月実践の力
今日もメッセージをお読み頂きありがとうございます。
一昨日、失態を演じてしまいました。
郵便局のATMに財布を置き忘れて帰りました。
3時間後の夜に気づき、かなり焦ってしまいました。
すぐに、「満月」「満月」「満月」を繰り返しました。
動揺するときに言葉の力は絶大です。
瞑想状態にしてくれるようです。
繰り返しているうちに、今何をすべきか判断できるようになり
交番、銀行、カード会社に必要な手を打つことができました。
言葉の力で落ち込みを防ぐことができますが、心のどこかに
沈みがちな気分があります。
「これで良かった」を繰り返しました。
こんな失敗をした時には動揺しないということはかなり難しいことです。
学長が言われる「不完全からは完全な姿は見られない」
完全から不完全を見た時に初めて見えてくる。」
「これで良かった」をひたすら繰り返すことで見えてくるものがあります。
学長の真理のお話の凄さを実感することができました。
お陰様で、財布は翌日に、交番から届けがあったと連絡が入りました。
見つかってホッとしましたが、この出来事から満月実践の力を体感できました。
最近、心が動揺する出来事が頻繁に起こります。
この前には、アイフォンに録音していた重要な内容がすべて消えてしまっていました。
空港の検査場で慌てていたために操作を間違えたようです。
今まで重要な内容を時間をかけて録音していただけに
瞬間、落ち込みました。
これも満月だと言い聞かせ、すぐに冷静さを取り戻しました。
いつも聞いていたものが出来なくなったため、これをチャンスと捉えました。
後日、久しぶりに「究極の営業プログラム」を聞いてみました。
しばらく聞いていなかったのですが、今までとは全く違う内容に思われ
涙が止まらなくなりました。
録音内容の消失により、この一年間の自分の成長に心から気づくことができました。
このおかげで、大きな自信とやる気を手に入れることができました。
満月実践恐るべし
心で出来上がる
今日もメッセージをお読み頂きありがとうございます。
今日は佐藤康行著「魂は無限能力」から抜粋してお伝えします。
「人生自由自在」
人生自由自在、自由ではないかと思うかもしれませんが我々の人生をとらえた時に、
我々の肉体なのか、心なのかを考えます。
私は心という次元で捉えました。
心という次元で捉えたら、心というものはどうにでもなるものだと思うのです。
皆さんが、大金持ちにこれからなるんだという思い方と、
もうすでに私は大金持ちだと思い込める思い方があると思うのです。
私は二十歳を過ぎたころは、まだ本当に貧乏で貯金通帳も10万もない時に
そういう勉強をしていたり、そう思っていた時に、
アッ、俺は間違いなく億万長者になれると思ってしまったのです。
間違いなく成功者になる。
100パーセント間違いないと思い込んでしまったのです。
そう思い込んでしまったから、もうそのための準備をしなくてはならないのです。
そのための言動、そのための行動、そのための行いをしなくてはならないと思ったのです。
ということはその通りになっていくということなのです。
だから、自分にいいことなら、信じ込んだ方がいいと思いました。
悪いことは打ち消せばいいと思ったのです。
悪いことも、ふっと浮かんでくることがあるからです。
その時には心の中で打ち消せばいいのです。
そんなことはない、必ず良くなる、必ず良くなるのだと。
必ず豊かになる、金持ちになる、人がどんどん寄ってくる
素晴らしいのだということを浮かべるのです。
そうすると本当にその通りになるのです。
本当に気持ち悪いくらいです。
私自身本当に驚いているのです。
「私の想い」
私は今、カウンセラーとして自分に必要なことに取り組んでいます。
この仕事は、相手の方の言われることをいかに聞いて、思いを分かり
その奥にある真の願いを引き出し、相手の方から悩みの答えをを引き出せるかにかかっています。
毎日の電話でも真剣勝負ができます。
一人ひとりガチンコです。
絶対にやってやるという心さえあれば必ずできるという気持ちになってきました。
全ては必然、完全完璧
いつもありがとうございます。
実感として感じるのが、世の中には助けが必要な人など誰もいないということです。
インドの沈黙の聖者と呼ばれていたラマナ・マハリシが、
ある記者にインタビューされた記事が載っていました。
「あなたは悟った人として、この世の中で今もある戦争や飢餓で苦しんでいる人や、
多くの子どもたちに対して何かしてあげたいとは思わないのですか」と質問したところ
ラマナ・マハリシは幸せそうなほほえみを浮かべて
「この世の中は全て完璧なのにどうして変える必要があるのか」と答えたそうです。
ラマナ・マハリシの目にはすべてが完璧な世界だったのでしょう。
私にはその意味が分かりませんでした。
ですが最近になって、完璧なこととして
相手や出来事を見ることこそが大切なのだと思うようになりました。
助けてあげなくてはいけない、不完全な存在などこの世には存在していない。
これは佐藤康行さんの著書「神様の鏡」という本を読んで、なるほどとすごく納得できたのです。
第一章にあった「宇宙の完璧」という一説が心に響いてきました。
どんな現象がやってきてもそのままで完全であることに気づく。
目の前に起こってくる出来事に抵抗するのではなく、完璧をただ受け入れるだけでいい。
ラマナ・マハリシの意識状態がそこに完璧に証明されていました。
ごめんなさい、私の今の理解力意識レベルではうまく説明できません。
ご興味がある方は読んでみて下さい。
ちゃんと理解しているかも不明なのにここで紹介したのは直感でこれは真実だと感じたからです。
最初に自分が不完全だと認識した状態で出来事や人を見ると、
結果も不完全なものが現れるということです。
すべての存在がそのまま完璧だと受け入れること。
あなたの存在がそのままで完璧だと受け入れること。
ここから始まれば結果が、自ずと完璧なものになる。
これは自分にも他人にも完璧を求めるのではなく、すでにすべての人が完璧であると気づくこと。
これはそうかもしれない。
直感で本当のことだと思いました。
自分の認識が変わると過去も現在も未来も変わる。
なぜならば、全ては私たちの認識、五感が作り出しているから。
ここで佐藤さんが薦めて下さっている方法が
何か問題が起こったときそのことに対して「完璧完璧完璧」と繰り返し唱えることです。
完璧であるという宇宙意識からスタートすることによって、
自分の次元が上がり、今まで見えなかった気づきが得られるというのです。
その結果、自然に外に現れている現象が完璧というのです。
これには目から鱗でした。
人に対しても完璧であること。
こちらが認識することによって、その人は必ず完璧な姿を現すというのです。
どんな相手も最初にまず変える必要のない完璧な人だと捉えることです。
これはとても大事なことだと思いました。
例えば、自分を完璧な存在として接してくれる相手には安心して心を開きますよね。
ですが、不完全で変容が必要な未熟な人として扱う相手には嫌な気持ちがします。
離れようとします。
これは真理だと思います。
相手や自分を不完全(未熟)だとみると不完全さが現れてくるのです。
すごく腑に落ちました。
若いころ、苦しんでいる私を何とか助けてあげようと、
教え、導こうとしてくれた善意ある人たちに感謝でいっぱいですが、
その人たちのもとでは私はずっと不完全な姿そのものでした。
助けてあげたいという意識では「君は助けが必要な未熟な存在だ」
と暗黙に言い続けているようなものです。
「君はこのままで完全なんだよ」という完璧な眼差しで見てくれる人がいたら、
完璧な存在として接してくれたなら、どんなに救われたことでしょう。
そういえば私は昔、様々な人から、不完全な子として見られていたことを思い出しました。
不完全だと思うから心配になるのです。
教え込まなくてはと躍起になるのです。
助けてあげなくてはと思うのです。
「あなたは変わらないとだめよ」というメッセージをずっと受け続けているのです。
そして私自身もまたすべての物事を不完全として見ていたのです。
佐藤さんが出会った人たちがどんどん劇的に変容していくのは、
佐藤さん自身がすでに相手を完璧な人として向き合っているからなんだとつくづく思った次第です。
これはすごくすごく大切なことだと思ったのです。
本当の生き方とは
「自分の想い」
本来の自分を生きる
私のほんの旬なんて、もう過ぎたと思いますよ。
「私の想い」
爆笑タイムです
福岡県福津市、主婦73歳
「私の想い」
笑うことはとても大切である。
自由な世界
「私の想い」