精神世界の旅が終わり、真我で出発します

人生とは何か

今日もメッセージをお読み頂きありがとうございます。

今日は感動した記事をご紹介します。

「あの言葉を支えに」

横浜に出てきて20年目。

様々な思い出がよみがえる。

自分で決断したとはいえ、2歳の娘を抱えて母子家庭となり、

16年のブランクを経ての看護師復職は並大抵のことではなかった。

でも、普通の男性よりも勝っていると思う度胸と根性、

そして偶然知り合った年配の女性3人に、就職・住居・育児、

それぞれの面で助けられて何とかやってこられた。

そして苦難の中、生きる原動力となったのは何といっても娘の言葉。

小学1年生の終業式の日、学校から持ち帰った物の中に

「心のノート」という書き込み式の道徳教材があり、

「今までで一番うれしかったこと」の項目に

「ママがずっとしごとしてきたこと」と書いてあった。

見た途端涙があふれ、ノートを抱きしめ号泣!

それまでの苦労が吹っ飛ぶほど心に響いた言葉だった。

7歳の女の子だったら、もっと子どもらしい発想をしそうなものだけれど‥‥

あれから14年が経ち、再婚して9年が過ぎた今、娘は同一人物とは思えないほど変わり、

あの頃のけなげさとかわいさは無い。

生意気盛りの女子大生で母親としては情けない限りだが、

それでもあの時の言葉が今も、私の心の支えとなっている。

横浜市、看護師、58歳

「私の満月物語」

佐藤康行著「魂の開発講座」に学長のこのような言葉がある。

これは私が作った格言であるが

「人生とは自分の心の中にある素晴らしさを発見する作業である」と思う。

また次のように書いてある。

「大きな視野から物を見ることが大事なのである。

一番大きな視野が神様であり、宇宙そのものである。

つまり極限なのである。

範囲などないのである。

自分の中に無限の力、愛、知恵があり、私は素晴らしいのだということを自覚することである。

自分が他人の評価をし、人の欠点が見えるということは自分にも同じ欠点があるからなのである。

だから自分が素晴らしい人間であれば、人の素晴らしいところしか見えないのである。

今日、私の家に宿泊しているドイツの留学生と話す機会があった。

相手の欠点が見えてきてしょうがない心に気づき、はっとして

美点発見に切り替える。

その瞬間に心が穏やかになる自分を発見できた。

 

患者から医者の立場へ

今日もメッセージをお読み頂きありがとうございます。

今日は「佐藤康行神技カウンセリングの極意」より抜粋してお伝えします。

佐藤先生の講話   ==================

【講話続き】
でも、皆さんが体感しようがしまいが、最初からそうだったんですよ。
でも、最初からそうなのに、その素晴らしい自分を出してないで生きてただけです。
皆さんの心の奥の中にユートピアがあったんです。
なのに、ゴミの自分で生きてたり、理屈だけで生きてたりする場合がある。
あなたの中に無条件の愛があったわけです。
だから、あなたの周りにいる人もみんなそうですよ。
周りの人で、どうも理解できない、なんか変だ、文句言ってる、いつも愚痴を言ってる。
でも、そういう人こそ、本当は一番求めてるんです。
苦しんでる人ほど。
だから、あなたを必要としてるんです。
そう思ってそっから出発すると、全然変わってきますよ。
だから、受け止め方なんです。
もう、今日からあなたは、どちらかと言うと、
患者さんというより、お医者さん側に変わるみたいなものです。
肉体の病気だったら、「ここが具合悪いんだ」と言ったら、
それを悪く取ったりしないでしょう?
「ああ、そこが具合悪いんだ」って受け止めて、
「どの辺? どの辺?」と何とか分かってあげようとするでしょう?
もし、あなたが医者だったら。
でも、心の部分は、みんなそういうふうには取らないんです。
「あの人は性格が悪い」とか、そういう受け止め方をするんです。
でも、ほとんどは最初の子供の頃からの親の育てられ方とか、
いろんな部分でひねくれているように見えるだけです。
だから、肉体の病気だったら悪く取らないんだけど、心の病気だったら悪く取っちゃうんです。
でも真我で見たら、単なるその一部分が出てるだけ。
そして、受け止めることができますから。
だから、あなたに余裕ができます。
そういう受け止め方したら、あなたに余裕ができます。
たとえあなたのことを非難したとしても、あなたを非難してるんじゃないんだと。
自分の心にそういう葛藤があるから言ってるんだ」
というふうに受け止めてやったら、あまりあなたは動揺しなくなります。
あなたが医者で、病人が具合悪そうにして、自分を責めてるように見えないじゃない。
こんな苦しい顔して、しかめっ面してきたら、
「私のこと、嫌いなんだ」なんて受け止める医者なんかいないでしょう?
本当は心の部分はみんなそんなもんだと思ったほうがいいです。
なのに、自分のことを責められたりしてるとか思っちゃう。
ほとんどがそうじゃないですよ。
みんな自分の性格の問題なんです、その人の。
お分かりでしょうか。
そのようにしてUターンをします。
今まで「自分、自分、自分」というのを
「あなた、あなた、あなた」に流れを変えていくわけです。
「分かってほしい、分かってほしい、分かってほしい」
「分かってあげよう、分かってあげよう、分かってあげよう」という方向に流れを変えます。
今日は短い時間でギュッと凝縮して、何回も何回も、その流れを変える訓練をします。
何回も流れを変える訓練をします。

「私の満月物語」

このお話を読んだとき、思わず「う~ん」と唸ってしまった。
こんな受けとめ方をいったい誰ができるだろう。
これは凄い。
真我の実践にとてつもない勇気を頂けた。

 

最も安全で楽な道

今日もメッセージをお読み頂きありがとうございます。

今日も佐藤康行著「神のメッセージ③」より抜粋してお伝えします。

「最も安全で楽な道」

強い人と言うと、競争に勝つ、力が強い、弁が立つなど、

相手を負かすイメージを持つが実はそうではない。

人とぶつかって、力で勝つ方法では、敵を作りやすい。

負けないように、いつも自分を権力や言葉や金などで武装していなければならないだろう。

これは自分自身が一番つらい、いばらの道である。

そうではない最も良い方法は、相手を受け入れることである。

受け入れるということは、相手の言う通りのことをやるということではない。

相手の良いところを見つけて、心から認めて讃えるのである。

自分を認めてくれた時に、人は心の扉が開く。

そうしたら、相手は、自然と自分から行動するようになるのだ。

老若男女問わず、人はそのようにできている。

一切のトラブルがなく、力もいらない、最も安全で楽な道なのである。


「私の満月物語」

学長のお話の中で次のような内容があった。

合気道をされている方で、その方を知らない人はいないほど傑出した方がおられ、

その合気道の達人の方が弟子から「最も強い技は何ですか?」と聞かれた時に

「それは自分を殺しに来た人間と友達になることである」

道を究めるとそうなっていく。

まさに究極は真我です。

私たちはその究極から出発していることを学長は述べておられます。

満月の法則の実践。

やっと電話が鳴って、瞬間心が騒いでも、「吉報である」から

スタートできるようになりつつあります。

何があっても満月。

とても緊張する場面でも、「真我の実践」を唱えながら

認識に飲みこまれない。

意識を真我に向け続ける。

 

自分の使命

今日もメッセージをお読み頂きありがとうございます。

今日は佐藤康行著「神のメッセージ③」より抜粋してお伝えします。

「頭と真我の違い」

私たちは頭で考えて、言葉を使い、行動する。

頭で考える世界は、その人の価値観の世界であって、人それぞれ違う。

自分の損得勘定や、過去のできごとの影響、

あるいは学習してきたことなどが自分の言動につながる。

そしてそれは、こうなったらよいというように自分の都合の良い結果を求めてしまって、

その結果が自分の思いと違うと落胆したり、その出来事を未来にまで引きずることにもなる。

例えば、自社の利益だけを考えてシナリオを作って行動しても、顧客とトラブルになりかねない。

一方が良くても、一方は良くない不調和の世界である。

考えて誘導すると、このようなことが起こる可能性が高い。

では、真我の世界はどのようになるかというと、結果が先なのである。

真我の発想は、このような場合はこれと決まった答えはない。

その瞬間に、過去にも未来にも捉われない、最適な方法が出てくるのである。

自社の利益も確保しつつ、最大限、今、目の前にいる顧客の利益にも貢献するという

知恵やアイデアや言動が、その時に出てくるのである。

それは、あらかじめ用意したものでは間に合わない。

今、その瞬間に最適なものが現れる。

そして、その結果の意味は後から分かってくる。

これで良かった、これはこういう意味だったのだと、頭で理解できるのである。

自分も相手も生かすことのできる、大調和の全く新しい世界なのである。


「私の満月物語」

昨日、一つの決断に迫られた。

ビー○○の仕事を辞めるか否かというもの。

経済的な理由からと、その商品の魅力から社会に広めたいという思いがあった。

○○の研修会に顧客を誘ってくるという課題が求められた。

自分には今の時点でできないことを伝えたが認めてもらえなかった。

今までの自分であれば、全力で課題に立ち向かえたはずだが

エネルギーが湧いてこなかった。

本当の使命はカウンセラーであることは十分すぎるほどわかっている。

この状況は、自分に何かを決断しろと力が働いている。

同じタイミングで、岡田社長のメッセージが現れた。

「即断即決」の大切さ。

やっと自信をもって決断することができた。

一つのことを追求すればそこには無限の世界が待っている。

脳内モルヒネ

今日もメッセージをお読み頂きありがとうございます。))

今日は佐藤康行著「神のメッセージ③」より抜粋します。

「脳内モルヒネ

人間には自然治癒力という機能が備わっている。

自然治癒力とは、その名の通り、自然に治癒する力である。

宇宙の働きとは、もとに戻ろうという働きである。

切り傷をしても、何日か経つと自然に治るように、私たちには自分の中に治す力を持っている。

感謝や愛の心が出てきたら、体内から調和のエネルギーがどんどん出てきて、自然治癒能力が高まる。

感謝、愛、歓喜などは宇宙の心であり、宇宙の心は、創造した状態に戻す働きをするのである。

病気になったら、その病気にすら感謝し、周りの人に感謝することができたら、

体内から治癒する物質が分泌されて癒すことができるのである。

不調和な心は病気を引き起こすが、調和した心は病気を治すことができるのだ。

自分で、脳内モルヒネをいくらでも出すことのできる、

愛と感謝の力が私たちには備わっているのである。


「私の満月物語」

今日、熊本の友の会に参加した。

そこでいろいろなお話をした。

不思議なことに、その中で、今の自分は最高に幸せであることに気がつかせて頂いた。

学長に出会ってから、自分では求めていた心の平安は得られていた。

しかし、いろいろな方々が目に見える結果を出されているお話を聞きながら

何か自分はまだ結果が出せていないことをふと考えることがあった。

しかし、学長に出会って、将来真我でこういう生活をしたいと夢見ていたことが

今現実になっていることに今日初めて気がつかせて頂けた。

人間は如何に欲の塊であるかということが良く分かる。

学長に出会ってから、初めて自分が心から幸せであることに気がつかせて頂けた。

真我を追求してきて本当によかった。

講演会の実行委員会をしてきたご褒美を頂けたと思っている。

さあ、今日から新たな出発ができる。

人間の本体は真我

今日もメッセージをお読み頂きありがとうございます。

今日は佐藤康行著「神のメッセージ③」より抜粋します。

「どの次元でも本体は真我」

人間はみな等しく真我の存在である

真我とは、宇宙意識、内在する神、全体意識

歓喜、あるいは愛と感謝の心、仏心などと表現できる。

真我は、人間の最も奥深い部分に内在するただ一つの実相であり、

それより浅い部分に無限の意識次元が存在する。

あの人は意識が高い、この人は意識が低いという言い方をするが、

意識が高くても低くても、その中間でも、人間は等しく真我なのである。

意識の高い人が優位で、低い人は劣るわけではない。

みな、過程なのだ。

今、どの意識次元で生きていても、それは一つの過程であり、変化していく可能性があるのである。

しかしながら、どの次元であっても、その奥にある普遍の真我が、我々の本体なのである。


「私の満月物語」

我々の認識は三日月でしかとらえられないようにできている。

どんなに三日月に見えても、その奥にある真我でとらえる。

それを前提に置く。

相手に完璧を求めない。

何が起きてもただひたすら真我の実践を唱える。

脳でとらえないように。

「二度とない一度の人生だから」より一部抜粋

二度とない一度の人生だから

だから私は、魂を自覚し愛の固まりで

人と社会の中で生き抜きます

二度とない一度の人生だからだから私は、愚痴や不満のない

喜びに溢れた人生にします

二度とない一度の人生だから

だから私は、人の失敗、迷いを

大きな心で包みます

分け隔てなく人を助ける

今日もメッセージをお読み頂きありがとうございます。

今日も感動的な記事からご紹介します。

ひと

野球日本代表のヘッドトレーナー

河野 徳良さん(52)

 

試合終了の瞬間、肩を落とす侍ジャパンの選手たちをベンチの奥から見つめた。

むせび泣く声も聞こえる。

「皆さん、よく頑張った。素晴らしいチームでした。」

初めて代表チームのトレーナーを務めたのは、20歳代前半の1988年野球世界選手権

以来、多くの野球の国際大会で、選手をサポートしてきた。

ワールド・ベースボール・クラシックWBC)も第一回から4大会連続でベンチ入り。

選手の治療やマッサージにとどまらず、球拾いや用具運びをすることも。

選手全員のけがの症状はすべて頭の中に入っている。

控えの陸上部員だった日体大の学生の頃、腰を痛めた。

トレーナーに相談したら、「主力選手じゃないと診るのは無理」と言われた。

分け隔てなく人を助けたいと思って、今の仕事の道を選んだ。

気がつけば、もうベテラン。

選手の投げる姿を見なくても、体を触っただけで投げ方が分かってしまう。

「ここの筋肉が張るってことは、少し肩の開きが早いかも」

選手たちは目を丸くする。

普段は日体大で準教授としてトレーナーを目指す学生を指導する。

WBCで世界一になった第1,2回大会でもらった優勝リングは授業で学生にはめさせている。

「日本のトレーナーの技術はすごい。

世界で活躍してほしい」との思いから。

金色だったリングは色がはげ、「もう黒ですわ」

 

「私の満月物語」


私は、なぜこの記事に心を打たれたのか考えてみた。

「分け隔てなく人を助けたいと思って、今の仕事の道を選んだ」

学長の「全ては一つ」につながるところかもしれない。

学長に出会った時に感じた、こんな人見たことないと思ったていたこと・・・

幼少の頃、両親が里親になり、子どもたちのお世話をしてくれていた。

母は大好きだったが、私と里子を違う意識で見ていたことが許せなかった。

この記事を見てふと幼少の自分を思い出した。