欲望の時代の終わり・本当の自分、真我の時代

精神世界の旅が終わり、真我で出発します

心で出来上がる

今日もメッセージをお読み頂きありがとうございます。

 

今日は佐藤康行著「魂は無限能力」から抜粋してお伝えします。

 

「人生自由自在」

 

人生自由自在、自由ではないかと思うかもしれませんが我々の人生をとらえた時に、

 

我々の肉体なのか、心なのかを考えます。

 

私は心という次元で捉えました。

 

心という次元で捉えたら、心というものはどうにでもなるものだと思うのです。

 

皆さんが、大金持ちにこれからなるんだという思い方と、

 

もうすでに私は大金持ちだと思い込める思い方があると思うのです。

 

私は二十歳を過ぎたころは、まだ本当に貧乏で貯金通帳も10万もない時に

 

そういう勉強をしていたり、そう思っていた時に、

 

アッ、俺は間違いなく億万長者になれると思ってしまったのです。

 

間違いなく成功者になる。

 

100パーセント間違いないと思い込んでしまったのです。

 

そう思い込んでしまったから、もうそのための準備をしなくてはならないのです。

 

そのための言動、そのための行動、そのための行いをしなくてはならないと思ったのです。

 

ということはその通りになっていくということなのです。

 

だから、自分にいいことなら、信じ込んだ方がいいと思いました。

 

悪いことは打ち消せばいいと思ったのです。

 

悪いことも、ふっと浮かんでくることがあるからです。

 

その時には心の中で打ち消せばいいのです。

 

そんなことはない、必ず良くなる、必ず良くなるのだと。

 

必ず豊かになる、金持ちになる、人がどんどん寄ってくる

 

素晴らしいのだということを浮かべるのです。

 

そうすると本当にその通りになるのです。

 

本当に気持ち悪いくらいです。

 

私自身本当に驚いているのです。

 


「私の想い」

 

私は今、カウンセラーとして自分に必要なことに取り組んでいます。

 

この仕事は、相手の方の言われることをいかに聞いて、思いを分かり

 

その奥にある真の願いを引き出し、相手の方から悩みの答えをを引き出せるかにかかっています。

 

毎日の電話でも真剣勝負ができます。

 

一人ひとりガチンコです。

 

絶対にやってやるという心さえあれば必ずできるという気持ちになってきました。

 

全ては必然、完全完璧

今日もメッセージをお読み頂きありがとうございます。
 
今日は、佐藤康行「究極の営業プログラム」フォロークラスがありました。
 
帰りに参加された方とお話しながら帰りました。
 
その方がぽろっと言われたこと「私たちに起こることはすべてが必然なんですよね」
 
起こることはすべて完全完璧。
 
その人にとって最も必要なことが起こっている。
 
全ては愛。
 
このことを考えた時、以前掲載したインドの聖者を研究されている方の
 
ブログの内容を思い出しました。
 
もう一度掲載します。
 
「ブログ感想」

いつもありがとうございます。

実感として感じるのが、世の中には助けが必要な人など誰もいないということです。

インドの沈黙の聖者と呼ばれていたラマナ・マハリシが、

ある記者にインタビューされた記事が載っていました。

「あなたは悟った人として、この世の中で今もある戦争や飢餓で苦しんでいる人や、

多くの子どもたちに対して何かしてあげたいとは思わないのですか」と質問したところ

ラマナ・マハリシは幸せそうなほほえみを浮かべて

「この世の中は全て完璧なのにどうして変える必要があるのか」と答えたそうです。

ラマナ・マハリシの目にはすべてが完璧な世界だったのでしょう。

私にはその意味が分かりませんでした。

ですが最近になって、完璧なこととして

相手や出来事を見ることこそが大切なのだと思うようになりました。

助けてあげなくてはいけない、不完全な存在などこの世には存在していない。

これは佐藤康行さんの著書「神様の鏡」という本を読んで、なるほどとすごく納得できたのです。

第一章にあった「宇宙の完璧」という一説が心に響いてきました。

どんな現象がやってきてもそのままで完全であることに気づく。

目の前に起こってくる出来事に抵抗するのではなく、完璧をただ受け入れるだけでいい。

ラマナ・マハリシの意識状態がそこに完璧に証明されていました。

ごめんなさい、私の今の理解力意識レベルではうまく説明できません。

ご興味がある方は読んでみて下さい。

ちゃんと理解しているかも不明なのにここで紹介したのは直感でこれは真実だと感じたからです。

最初に自分が不完全だと認識した状態で出来事や人を見ると、

結果も不完全なものが現れるということです。

すべての存在がそのまま完璧だと受け入れること。

あなたの存在がそのままで完璧だと受け入れること。

ここから始まれば結果が、自ずと完璧なものになる。

これは自分にも他人にも完璧を求めるのではなく、すでにすべての人が完璧であると気づくこと。

これはそうかもしれない。

直感で本当のことだと思いました。

自分の認識が変わると過去も現在も未来も変わる。

なぜならば、全ては私たちの認識、五感が作り出しているから。

ここで佐藤さんが薦めて下さっている方法が

何か問題が起こったときそのことに対して「完璧完璧完璧」と繰り返し唱えることです。

完璧であるという宇宙意識からスタートすることによって、

自分の次元が上がり、今まで見えなかった気づきが得られるというのです。

その結果、自然に外に現れている現象が完璧というのです。

これには目から鱗でした。

人に対しても完璧であること。

こちらが認識することによって、その人は必ず完璧な姿を現すというのです。

どんな相手も最初にまず変える必要のない完璧な人だと捉えることです。

これはとても大事なことだと思いました。

例えば、自分を完璧な存在として接してくれる相手には安心して心を開きますよね。

ですが、不完全で変容が必要な未熟な人として扱う相手には嫌な気持ちがします。

離れようとします。

これは真理だと思います。

相手や自分を不完全(未熟)だとみると不完全さが現れてくるのです。

すごく腑に落ちました。

若いころ、苦しんでいる私を何とか助けてあげようと、

教え、導こうとしてくれた善意ある人たちに感謝でいっぱいですが、

その人たちのもとでは私はずっと不完全な姿そのものでした。

助けてあげたいという意識では「君は助けが必要な未熟な存在だ」

と暗黙に言い続けているようなものです。

「君はこのままで完全なんだよ」という完璧な眼差しで見てくれる人がいたら、

完璧な存在として接してくれたなら、どんなに救われたことでしょう。

そういえば私は昔、様々な人から、不完全な子として見られていたことを思い出しました。

不完全だと思うから心配になるのです。

教え込まなくてはと躍起になるのです。

助けてあげなくてはと思うのです。

「あなたは変わらないとだめよ」というメッセージをずっと受け続けているのです。

そして私自身もまたすべての物事を不完全として見ていたのです。

佐藤さんが出会った人たちがどんどん劇的に変容していくのは、

佐藤さん自身がすでに相手を完璧な人として向き合っているからなんだとつくづく思った次第です。

これはすごくすごく大切なことだと思ったのです。
 

本当の生き方とは

今日もメッセージをお読み頂きありがとうございます。
 
今日は佐藤康行著「魂は無限能力」から抜粋して言お伝えします。
 
この世にあるすべての物は、誰かが心の中に描いたものが形となって現れたものです。
 
まず、その原点の心を変えなければならないのです。
 
人間以外の誰かがやっていることではないのです。
 
人間は、心と言葉と行動から結果を得ますが、一番最初に来るのが心なのです。
 
心が一番最初です。
 
その心が、言葉となり、行動となり、結果となるのです。
 
原点である心のことをもっと知らなければなりません。
 
私自身が、思い方教室をなぜやるようになったか。
 
それは前述いたしましたが今から七、八年前の正月の三日間、
 
自分に徹底的に問いかけたことに始まります。
 
三日間、朝から晩まで自問自答し「今の学校で教えていない、
 
大切なことを教える学校を創ろう」と思い立ったことに始まります。
 
そう思い立ったのです。
 
今の教科書に書いていない大事なことは、いったい誰が教えているのだろう。
 
そしてその目標に近づくために何か方法はないだろうか、と考え、思い方教室を始めたのです。
 
過去があり、現在があり、そして未来があります。
 
本当はもっともっと厳密にいうと過去も未来もないのです。
 
分かりやすく説明してみます。
 
本当は、過去も未来もどこにもないのです。
 
どこにあるのですか。
 
今しかないのです。
 
過去も未来も自分の心の中の「今の心の中」にあるのです。
 
全て、今なのです。
 
過去とか未来は全て今の心の中にあるのです。
 
過去はないのです。
 
未来も未だないのです。
 
今を生きろ、というのはそういうことなのです。

「自分の想い」
 
毎日の生活の中で、ふと気がつくと次の仕事のことばかりを考えて
 
イライラしている自分がいます。
 
「今」に生きていない。
 
真我で生きていない。
 
その時にはすぐに切り替えます。
 
この一瞬一瞬を思う存分楽しもう。
 
学長の言葉です。
 
「皆さんが、毎日毎日喜びの人生を送るということが
 
無駄のない人生を送るということです。
 
ただあくせく走り回るということではないんです。
 
あなたがじっとしていても、喜びと感謝に溢れ、
 
そしてまわりの人たちの愛に気がつき、
 
そして、まわりの人たちと一体であるということを自覚し、
 
そのことに目覚めて生きるということが、
 
時間の無駄をなくすということなんです。
 
なぜなら、それが目的でもあり、終着でもあるからです。
 
そして、それが出発でもあるからです。
 
今こそ本当の生き方をしましょう」。

本来の自分を生きる

今日もメッセージをお読み頂きありがとうございます。
 
今日は新聞記事より、今90万部売れている
 
「90歳、何がめでたい」の著者
 
佐藤愛子さんの投稿記事をお伝えします。
 
「本が売れて何がめでたい」

私のほんの旬なんて、もう過ぎたと思いますよ。
 
《本人の弁とは相反して、エッセーの売れ行きは止まらない。
 
「90歳。何がめでたい」は今年上半期のベストセラー1位になった。
 
昨夏の刊行以降、90万部を超えている》
 
私は、評価されない作家なんですよ。
 
また佐藤がくだらんことを書いている、と。
 
長編小説「晩鐘」(2014年刊)を書き上げて、
 
私の胸の中にあったものはすべて、総ざらい出し切ったと思いました。
 
もう書くことはこれでない。
 
毎日ぼんやりと過ごしていたら、うつのような気分になってきましてね。
 
そこへひょっこり、週刊誌「女性セブン」の方がやってきて、連載エッセーのお話を頂きました。
 
書き始めてみましたら、気づいたのです。
 
書いているときの私は機嫌が良いのだ、と。
 
エッセーは自分が面白いと思ったことを紹介します。
 
鼻歌をうたうように書いています。
 
小説は違います。
 
今は売れるかどうばっかりですね。
 
私が書き始めた70年ほど前に「小説が売れる」という言葉はありませんでした。
 
よく読まれているとか、評判がいいとか。
 
「あいつ、このごろ売れ始めたらしいね」と友人の作家
 
川上宗薫が言うのを聞いたとき、びっくりしました。
 
私は売れるために小説を書くということを考えたこともありません。
 
表現したいことを小説やエッセーに書きたい、ただそれだけなのです。
 
私の言いたいこと、考えたことをくみ取ってくれる読者に遭えたら
 
それは嬉しいですが、会えなくたって構わないのです。
 
本が売れて、何がめでたい。

「私の想い」
佐藤さんは、ご自分の好きなこと、持って生まれた能力を自然に表現されていて
 
何が欲しいとか、このようになりたいとか、エゴの思いが感じられない。
 
聞いていてとてもさわやかになる。
 
今、それなりの成果を出されている方に
 
佐藤さんのような生き方をされている方をよく目にするようになった。
 
自然に素直に自分を表現できる
 
私も目指したい。

爆笑タイムです

今日もメッセージをお読みいただきありがとうございます。
 
 
新聞記事「ひととき欄」より抜粋します。
 
夏のワンピースは後ろ開きファスナーの場合が多い。
 
ワンピースは好きだが、後ろ開きでファスナーとなるととても苦手だ。
 
急いでいる時など布をかんでしまって慌てて脱ぎ
 
状況を元に戻すのに大汗をかかねばならない。
 
若い頃から、この厄介な「ファスナー問題」には悩まされてきた。
 
しかし、欧米映画の中の女性たちはこの問題に悩まないようだ。
 
画面にみる女性の身支度の仕上げは背中のファスナーを上げることと、
 
ネックレスの金具を留めること。
 
この2つは言われなくても、側にいる男性がすることが多いからだ。
 
男性は支度の終わった女性に「きれいだよ」とささやき、
 
腕を組んでお出かけだ。
 
こんなシーンを映画の中で幾度もみた。
 
ところがつい最近、似たようなシーンが私に巡ってきた。
 
着替えていたら、近くに偶然夫がいたので、背中のファスナーを上げてくれるよう頼んだ。
 
夫はあげてくれたが、ひとこと言った。
 
「こんなこともできんようになったの?」
 
ガーンである。
 
ショックであった。
 
映画の見すぎか、はたまた頼む人を間違えたか。
 
この夏も「ファスナー問題」は解決しないままである。

福岡県福津市、主婦73歳

「私の想い」

笑うことはとても大切である。
 
今、いたるところで笑いの重要性が取り上げられている。
 
医療でも笑いの治療効果が取り上げられている。
 
ナチスの虐殺の死ぬ恐怖の中で、この精神を保った人が命をつないだという事を聞いたことがある。
 
「ウイリアム・レーネン」の本の中に次のようなことが書かれていた。
 
『突然の変化や、一見ネガティブな出来事が起こったとき
 
それを超えるために最も役立つツールは「笑いと喜び」です』
 

自由な世界

今日もメッセージをお読み頂きありがとうございます。
 
今日も佐藤康行著「過去を変えればうつは治る」より抜粋してお伝えします。
 
「困難をラッキーチャンスとするには」
 
私たちは、今この瞬間に起きている出来事を、自分というフィルターを通して眺めています。
 
その視界に映っているものに、私たちは「過去の記憶」をもとにレッテル貼りをしています。
 
もちろん無意識にではありますが、たとえば人と出会った時に
 
「過去の記憶」が影響して不安や怖れが生じ、自分を守らなければという危機感から
 
自己防衛の本能がはたらきます。
 
それが人との対立構造を生み、悩みや苦しみを引き起こすのです。
 
一方で、「本当の自分」を取り戻すと、心のスクリーンには
 
相手も自分もその本質が映し出されるようになります。
 
例え嫌な相手であっても、その相手は自分の人生ドラマにおいて
 
重要な登場人物であり、主人公の自分と同じくらい大切な存在であると気づくでしょう。
 
互いに学び合い、成長し合うという意味では、
 
この人生で出会うどんな相手も感謝の対象でしかなくなります。
 
ときには相手から攻撃的な態度をとられ、「やっぱり嫌いだ!」と
 
心が揺さぶられることもあるでしょう。
 
それでも現実を俯瞰して眺めれば、「自分こそが正しい」という見方から解放され、
 
冷静に、心穏やかに事態を見守ることができます。
 
それはまるで、素晴らしい人生ドラマのストーリー展開を楽しんでいる観客のようです。
 
このような見方を手に入れると、いかなる困難が立ちはだかっても、
 
次のような思考回路が働いて好循環しか起こらなくなります。
 
①起きたことは、すべてよかった。
 
②今現在、なんとありがたいことか。
 
③だから未来はよくなる。
 
過去、現在、未来の全てが素晴らしいと気づくと同時に、
 
不幸のどん底と思っていた現実が、180度ひっくり返るのです。
 
これは心にある「過去の記憶」についても同じこと。
 
困難を乗り越えた分だけ魂が成長することを、日々実感できるようになるでしょう。
 
くり返しますが、困難を生み出しているのは、「過去の記憶」です。
 
自分の人生は自分で選択しているように見えて、実は「過去の記憶」にコントロールされています。
 
さらに恐ろしいことに、それに気づくことはほとんどありません。
 
例えば、「結婚して幸せになりたい」という人がいたとします。
 
そう強く願っていても、実際には「過去の記憶」からくる結婚への不安や怖れから、
 
なかなか出会いに恵まれないという現実を引き寄せてしまいます。
 
その記憶は、幼少期に見た両親の壮絶なケンカかもしれません。
 
あるいは、先祖から受け継いだ遺伝子の記憶で、
 
男女間のトラブルがあったせいかもしれません。

「私の想い」
 
政治の世界では「忖度」という言葉が飛び交いました。
 
学校の中でも多くの生徒がが、お互いに空気を読み合い、
 
自分がみんなから浮かないように息をひそめながら、
 
自分を押し殺しながら生きています。
 
人間はみんな過去の記憶でできている。
 
考え方や、感じ方は違って当然。
 
私は世界にたった一人しかいない貴重な存在。
 
みんな本当の自分は満月で素晴らしい仲間であることを自覚できる。
 
きっとその時はみんな大空に解き放たれた鳥のように自由を謳歌することでしょう。
 
夢の世界が近づいている。
 

善い、悪いはない

今日もメッセージをお読み頂きありがとうございます。
 
今日は佐藤康行著「過去を変えれば「うつ」は治る」より抜粋してお伝えします。
 

「人の性格や考え方に良いも悪いもない」

 
次のことを想像してみて下さい。
 
これは物事の捉え方や考え方の傾向を知るために、良く用いられるたとえ話です。
 
水を求めて砂漠をさまようあなたの目の前に、半分ほど水が入ったコップが現れました。
 
あなたは、コップの水を「まだ半分もある」と感じますか?
 
それとも「もう半分しかない」と感じますか?
 
「まだ」と感じる人はポジティブ思考に、「もう」と感じる人はネガティブ思考に当てはまる。
 
そのことはお分かりいただけるでしょう。
 
世にある心のエッセイや自己啓発などでは、ポジティブ思考を良しとしていますが、
 
「前向きなほうがいい」という思い込みは、むしろ害になります。
 
ポジティブにしろネガティブにしろ、どちらの思考パターンが良いとか悪いというものではないからです。
 
実際には「コップに水が半分入っている」という現実が、単に目の前にある、というだけのこと。
 
自分の思考パターンの偏りに気づいても、それに対して良し悪しで判断しないことがとても大切です。
 
考え方がポジティブだろうと、ネガティブだろうと、その事実に対して自分を責める必要は全くありません。
 

「人生を高みから見渡してみよう」

 
ポジティブ思考やネガティブ思考といった性格分類は、生き方の本質をとらえる上であまり意味を持ちません。
 
それらは表裏一体であり、人間でいえばこの世に男性と女性の両方がいるようなもの。
 
大自然のしくみとしてもともと存在しているのですから、良し悪しで判断できるものではないのです。
 
それでも、私たちは思い通りに物事が進まなければ、ネガティブに考えてしまうのが常だと思います。
 
気分も落ち込みやすくなりますが、それはあなたの考え方や性格がネガティブだから悪いのではありません。
 
ネガティブな考え方とは、あなたが何かに気づくために必要なメッセージなのです。
 
例えば、横断歩道を渡ろうとするとき、信号が青になっているか確認したり、
 
危険かどうか左右を見ますよね?
 
それは、車にぶつかると命にかかわるからです。
 
つまり、危険を感じるという事は、命を守るうえでとても重要なことなのです。
 

「私の想い」
 
この内容を読んで、衝撃を受けた。
 
コップの水を尋ねられた時、当然のごとく「まだ半分もある」という思考が大切だと
何の疑問の考えず感じている自分がいた。
 
うつ病を発症しておられる方々は、ほとんどがご自分を責めておられることが分かっている。
 
こうなければならないという価値観を持つことが真我で生きられない一因になる。
 
学長は愛の反対は価値観だと神のメッセージで述べておられる。
 
良い悪いで捉えない、記憶の価値観で捉えない。
 
認識は真理ではない。
 
相手の心の奥にある満月、愛を観る。
 
すべての事象の奥にある愛をとらえる。
 
満月の法則を細胞レベルに落としたい。