欲望の時代の終わり・本当の自分、真我の時代

精神世界の旅が終わり、真我で出発します

お陰様です。ありがとうございます。

今日もメッセージをお読み頂きありがとうございます。

2月11日、建国記念日に行われた学長の岡山講演会。

大成功の内に幕を閉じました。

これから、この講演会を通じて起こる奇跡の出来事が明らかになってくるでしょう。

最近の真我の体験者の発表内容が、今までとは明らかに違って

驚くようなことが続出しています。

学長はご自分の変化とも言われていました。

福岡での真我の仲間の集いであるチーム達人満月笑顔の会で

今年のテーマを「お陰様です。ありがとうございます」に決めて取り組んでいます。

講演会で泊まったホテルでも早速実践しています。

トイレが狭い・・・お陰様です。ありがとうございます。

ペーパーが取りずらい・・・・お陰様です。ありがとうございます。

何度も便意が・・・お陰様です。ありがとうございます。

不思議と勘違いしている脳が元に修正されるのが分かります。

答えから出発する。

答えが先。

それが私たちを創造した大宇宙の意思に従うことになります。

小さなことから実践していく。

継続の大切さ。

学長の作詞された「真我のままに」に次のような言葉があります。

真我のまま あるがままに

生きてゆこう

ほんの小さなことさえ

あなたを応援している

愛だけがある 光だけがある・・・

新幹線に乗ると、歯痛がしてきました。

体の不調の時に現れる症状。

お陰様です。ありがとうございます。

なかなか痛みが引かないため、真我瞑想に切り替えます。

「無い、愛の光」・・・・・

20分もするとスーッと痛みが引いていき、心も別人のように穏やかになりました。

学長が言われているたった一つのことを実践する。

そのメソッドは1000種類以上・・・

学長の偉大さに言葉が見つかりません。

お陰様です。ありがとうございます。

宇宙の大調和

今日もメッセージをお読み頂きありがとうございます。

今日は2月4日の「チーム達人満月笑顔の会」の内容についてお伝えさせて頂きます。

今回のテーマはなぜ、『「お陰様です。ありがとうございます。」から出発するのか』

について、皆さんで理解を深めることができました。

学長のCD「生命のプログラムセミナー①②」をもとにして進めていきました。

私たちは、毎日の生活の中で人間脳、認識を使って物事の判断、まわりの方との関係性を

築いています。

そのことが、今、様々な不調和を起こし、精神的病、地球環境問題、戦争の危機まで招いています。

学長は、「あなたの生命というプログラムは、だれが創造したのか」

その大元から見ていくことを言われます。

「ああ、あの時にああなって、あそこにいたのは、ここに来るためにいたんだな。

ああ、あそこでこういう勉強したのもここに来るためにしたんだな。

あの人と出会ったのもここに来るために出会ったんだな。

あの人にこういわれてこう反発したのもここに来るためだったんだな。

お父さんとお母さんが結婚したのは、ここに来るためっだったんだなという、

すべてが必然。

完全完璧です。」

(学長の生命のプログラムリライトより)

私たちのまわりで起こる一見耐えられないこと、理不尽だと思うこと。

これらは、すべて、今までの経験の記憶、親からのDNA、先祖から引き継いでいるもの。

それらが、外界の縁で出てきて、様々な感情が湧き起こる。

でもすべて、宇宙から見ると完全完璧、愛。

すべてを「お陰様です。ありがとうございます。」で受け取る。

すると、なぜ有り難いことなのかは後から見えてくる、分かってくる。

そして結果もありがたいことに向かっていく。

宇宙の大調和に人間脳を合わせる。

毎日の生活でひたすら「真我の実践」を唱える。

常に真我にフォーカスを当てる。

とにかく真我を一番にする。

人間の欲望や、考えは真我に従わせる。

この一年間、メンバーで実践研究を重ねていきます。

とんでもない一年間になりそうな予感がします。

 

 

病気になる人、ならない人

今日もメッセージをお読み頂きありがとうございます。

今日は村上和雄著「アホは神の望み」より抜粋してお伝えします。

「インテリの悲観論よりアホの楽観論」

ときどき日本人ほど心配性の人種はいないのではないかと思うことがあります。

世界のトップの長寿国でありながら病気や健康の心配ばかりしている。

世界にこれほど安全な国はまれなのに、

近ごろは安心して町を歩けないなどと治安の悪さを嘆いている。

そういう心配がゼロというのではないが、

これは顕微鏡で見るべきものを拡大鏡で見ているようなものです。

つまり、一部の悪材料を必要以上に拡大解釈して、悩みの種を自分で広げている。

なぜそうなのかを考えて、一つ思い当たるのは、

悲観的なことは高尚めいて見える点です。

ある事柄を肯定的にとらえるよりも、否定的にとらえる方が、

それについて深く考えているように見える。

だから、インテリと称される人ほど悲観論をぶちたがるものです。

しかし少なくとも、心や体の健康にとっては楽観論のほうが好ましいもの。

問題点はいろいろあるが、まあ、そう深刻ぶらずに、

やれるところからぼちぼちやっていこう。

困ったことだが、そのうち何とかなるだろう。

そんなふうに楽天的におおらかにかまえる人のほうが病気にならないのです。

病気の治る人とは病気を忘れてしまう人という説があるそうです。

病気になると治そう治そう、治りたい治りたいとがんばる人がいますが、

こういう人も病気に意識やエネルギーを集中させることで

かえって病気にとらわれてしまい、治りにくいタイプに分類されてしまうというのです。

納得できる話です。

反対に、すべき治療をしながら、その結果については「前向きに放置している」人。

プロセスに力を尽くすが、結果は天の意思に預けてしまう人。

こういう人は病気に心を捉われることが少ないので、そもそも病気になりにくく、

また、治りやすいタイプなのです。

病も完全な姿

今日もメッセージをお読み頂きありがとうございます。

新聞記事より抜粋します。

「がんとともに」

向き合い挑む「強いんだ」

鍛え上げた体は、「癌患者=弱い人」という自らの先入観に対し、挑戦を続けた結果だ。

3年半前、左足に悪性の軟部腫瘍が見つかった。

病院では実感がなかったが、帰宅後、死に近づく恐怖がわいてきた。

手術後の入院は1ヵ月。

足が思うように動かず、細くなった。

ウェブ制作会社での仕事が物足りなくて、転職を考えた矢先の出来事だった。

怒りやら焦りがこみ上げた。

さらに「やっぱりがん患者は弱いんだな」と感じた。

病床でふと、ある女性患者がブログに書いた一節に心が動いた。

「人生、起きたことに意味がある」。

がんを言い訳にしないと決め、トレーニングを始めてみた。

自分のうちにある、熱いものを肉体の改造にぶつけた。

退院後、がん関連や臨床試験などの情報を提供する企業に移り、手ごたえを感じている。

自分と同様、若くしてがんになった仲間もできた。

病や死と向き合いながら、生きようとしている人が大勢いることを知った。

「がん患者は強いんだ」。

今はそう思う。


佐藤康行著「うつ病は90日で90%治る」より
5、究極の大船に乗る

●病も完全な姿

真我「心の再生」医療で患者さんが本来の姿に再生していくのは、究極の大船に乗ることに他なりません。

元々の姿に自分で戻していくとうことだからです。

それは、患者さんが今から医学を勉強して、その知識を自分に適用していくということでは、

もちろんありません。

元々の本来の自分に気づき、それが自分を治癒に向かわせるということです。

真我「心の再生」医療では、どんな患者さんに対しても、

重い病はないという観点で接していきます。

病気は、その人へのメッセージであり、その人の中に全部答えがあり、

目の前にいる人は、完全で完璧であるという、そのように扱った時には全てうまくいくのです。

完全で完璧であるということは、人間の考える完全完璧ではありません。

人間の考える完全完璧は、例えば健康について見た場合には、

どこにも疾患がなく、気持ちも明るく、前向きで、社会にも適応している状態と捉えるでしょう。

生活で見た場合は、収入もあり、家庭も持ち、家庭円満な人生かもしれません。

しかし、真我「心の再生」医療でいう完全完璧というのは、人間が創られたその意思からすると、

病気も、病気が表れたそのことも、あるいはまた、健康であるということも

命を生かすという側面では、同等で同質な、一つの状況の表れなのです。

宇宙のシステム、その人の命という観点から見ると、

病はその人にとって必要なものであったことに気づくのです。

病も健康も含めて、過不足なく、完全な動きなのです。

 

心を込めて

今日もメッセージをお読み頂きありがとうございます。

新聞記事より抜粋してお伝えします。

ふらりと立ち寄った、あるラーメン店。

こだわりのスープが売り物とか。

まだ若い店主の元気な声が響く。

ラーメンを注文した客の携帯電話が鳴った。

込み入った内容らしい。

客は話しながら店の外へ。

出来上がったラーメンが席に置かれた。

客はなかなか戻ってこない。

しばらくして席に着いた客がラーメンに手を伸ばそうとした。

その時、店主はさっとラーメンの器を引いて、湯気の立つ作り立てに取り換えた。

驚く客に「お客さんに、冷めたラーメンは食べさせられませんから」。

「二杯分の料金を」との申し出を固辞した店主。

そのTシャツのせなかに書かれた文字に目が留まった。

「一杯入魂」。

野球の「一球入魂」のもじりだろうか。

なるほど。

この店のラーメンがうまい理由が分かった。

仕事帰りに乗った、ある路線バス。

停留所に留まるたび、運転手が車内アナウンスを繰り返す。

「週末の金曜日です、1週間、お疲れ様でした」

バスを降りるお年寄りには「寒いですから気をつけて」

「自転車にご注意ください」

あえて言えば「一停入魂」か。

学生たちが「ありがとうございました」と笑顔で降りていった。

外の風は冷たいが、車内はなんだかポカポカと。

ラーメン店主とバス運転手。

仕事は違っても、心を込めて最良のサービスを提供しようというプロ意識には通じるものが。

料金はいつもと同じなのに、すごく得をした気分にしてくれた。

西日本新聞、春秋より」

今日も介護施設で傾聴ボランティアをした。

ここは情熱を傾ける青年が所長をして頑張っている。

私の本気度を見抜かれるようで怖い。

彼が自分の父親の要件で早めに帰ろうとすると、入所者の方が泣かれていた。

やはり彼は本物だと強くひかれた。

心を込めて触れ合えば、必ず通じるものがある。

92歳のおばあちゃんと長くお話をした。

話の途中で何度も「死にたい」と繰り返される。

何とか話題を若い時の誇りのある仕事に向けてみる。

その時は別人のように生き生きとされて話をされる。

帰ろうとすると、あの青年のときのように涙を流された。

ごめんなさい。

必ずまたお話に参ります。

お陰様です。ありがとうございます。

今日もメッセージをお読み頂きありがとうございます。

昨日、福岡の真我の会、チーム達人笑顔の会がありました。

今年最初のスタートの会が、とても内容の濃い、充実したものになりました。

私は笑顔の会の今年のテーマを

「お陰様です。ありがとうございます」にしてほしいと提案しました。

学長は、以前のセミナーで、人間という偉大なるスーパーコンピューターを

ボタン一つで扱えるようになればいいお話をされていました。

宇宙の真理を理解し、真我で生きるためにはどのようにすればいいのか?

その生き方ができるスイッチを見つける。

学長が提起されている満月の法則を使いながら

自分の身の回りに起こる様々な出来事をすべて「お陰様です、ありがとうございます」

で受け取る。

笑顔の会で、共通理解のもと、みんなで実践して、

その過程で起きる出来事を共有していきたいと思っています。

笑顔の会は実践研究の場だと捉えていきます。

YSの講座や真我の会に出ておられた方が、足が遠のくケースがよく見られます。

自分のニーズが満たされなかったり、変化が捉えられないことで、

関心が薄れていくのではという気がしています。

東大の野球部監督の浜田一志さんの新聞投稿で次のような記事がありました。

「サラリーマンを6年やり、そのあと学習塾を開業しました。

2年目からうまくいかなくなり、教える手順を工夫しました。

本当は本質を教えたいのだけど、まずは自転車に乗れるようにして、

なぜ自転車が動くのかはあとで教えようと思ったのですね。

解き方をパターン化して教えると、できるようになります。

解けるようになったら、あとで教えても、聞く耳を持つようになるのです」。

真我の追求を始めて、自分の変化をはっきりと感じられた方は、真我に確信を持たれるでしょう。

その後の追求にも力が入るようになると思います。

そのあとに、「なぜ変化が起きるようになるのか、宇宙の真理はどのようなものか」

など分かるようにしていけばいい。

お陰様です。ありがとうございます。

何が起きてもここから外れない。

本当の感謝をすると宇宙と一体になる。

この1年間、笑顔の会は必ず結果を出せる会に進化していきます。

学長から1ミリも離れません。

 

 

幸せを決めるもの

今日もメッセージをお読み頂きありがとうございます。

今、広島の満月の園にいます。

今からKABUTOさんによるミュージックRIVEが行われる予定です。

ここで手にして読んでいた本「うつ病は90日で90%が治る」で

衝撃的な内容を目にしたので、紹介させて頂きます。

イギリスの心理学者リチャード・グレゴリーとジャン・ウォレスが

「幼年期の盲目からの回復」という報告書の中で語っている、興味深い事柄があります。

生まれて生後10ヵ月で失明した男性が、52歳の時に角膜移植で視力を回復しました。

視力が回復するということは喜ばしいことであり、

この男性にとっても明るい未来が待っているだろうと皆は予想しました。

しかし、なんと、この男性は、視力が回復してからは、

自信を失い不機嫌な日が続いて、とうとう鬱になってしまったのです。

この男性は、盲目でありながらもそのハンディを楽しむかのように、

職を持ち、自転車にも乗って、目が見えなくてもそれらができることに自信と誇りを持っていたのです。

それが、目が見えるようになった途端に、それらは、目の見える人には当たり前のことであり、

今まで自分がやってきたことへの自信を喪失していったというのです。

「彼の物語はある意味で悲劇的だ。

彼は非常に大きなハンディを負っていたが、元気に明るく暮らしていた。

そのハンディが奇跡的に取り除かれたかに見えた時

彼は安らぎと自尊心を失った」と研究者の二人は言っています。

このエピソードは、まさに自分の内に、「幸せ」があることを物語っていると言えるでしょう。

盲目であっても、男性は幸せだったのです。

目が見えるようになったら幸せ、というのは、人の価値観でしかないわけです。

目が見えても見えなくても、「幸せ」になることは、今、この瞬間からできるのです。

何のために病気を治そうとするのかというと、

健康で快適な素晴らしい人生を送るためではありませんか?

だったらそれは、いつになったらそうなるのでしょうか。

治ったらなるのでしょうか。

では、治らなかったら、死ぬまで素晴らしい人生は送れないのでしょうか。

そうではありません。

今この瞬間から、快適で素晴らしい人生は送れるのです。

人間の心は、もっと便利です。

どんな状態でも、今この瞬間から幸せになることができます。

どんな状態でも、今この瞬間から幸せになって、喜びいっぱいになれるのです。

人間は、それを知っています。

これが答えを知っているということです。